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もどかしげに首を横に振られ、眉根を寄せる。話の意図が見えず、思わず語気が強くなる。
苛立つ穂積とは反対に、千影は冷静さを呼び戻すように深く息を吸い込んだ。
「あなたが俺のためにしてくれたすべてに感謝しています。心から有り難いと思っている」
「礼が欲しくてしたわけじゃない」
「聞いてください。俺はあなたを大切に想っている。それは認めます」
「っ……!」
「あなたに危険が迫れば正気でなんかいられないし、助けがいるならどこへだって駆けつけます。けど、そこまでです」
予想もしないセリフに心臓が高鳴ったのは一瞬。またしても掌を返され、穂積の表情が険しさを増す。
それでも千影は止まらなかった。まるで勢いに任せなければ、続けられないかのように。
「俺はどう足掻いても同じ世界には行けない。あなたの隣には立てない。だから、あなたの気持ちには応えられない。光も俺も存在していないんです」
告げた少年の眼には、強い光りが宿ったままだった。迷いや揺らぎは見当たらず、落ち着いた色を湛えている。
それはきっと、本心を口にしているからだろう。
「話は終わりか?」
「え」
「俺がいつそんなことを訊いた。俺が知りたいのは、お前が俺をどう思っているかだ」
「だから――」
反論を最後まで言わせるつもりはなかった。
千影の作った一歩分の距離を踏み込むと、穂積は細い手首を掴んで思い切り引き寄せた。
慌てて身を離そうとするのを許さず、小さな顎をわし掴む。強引に仰向けて、無理やり目を合わせた。
「これはなんだ」
「いきなりなにするんですか!」
「俺が触れている、この身体はなんだ」
千影の頬が強張った。突然の暴挙に対する驚愕ではなく、問いの意味を察して怯えている。
「俺が見ている目は、俺が聞く声は、俺が望む心は、なんだ」
間近に並ぶ瞳の奥を覗き込み、拘束した手に力を込める。眼前に縫い付けるように、あらゆる意識を千影だけに注いだ。
「存在していない? 馬鹿にするのもいい加減にしろ。お前はここに在るだろう!」
千影が真実を語っていることは理解できる。以前のように心を隠したりせず、本当の気持ちを打ち明けたのだと信じられる。
けれど穂積が求める決定的な一言は、胸の中に残したまま。答えは明白なのに、なおも沈黙を貫こうとする。
その理由が「存在していない」だなんて、冗談ではない。
穂積が恋い焦がれる相手は、霧のように実体のない幻影などではない。泡沫の夢ではない。
今、目の前で泣き出しそうな顔をしている少年なのだ。
千影はここにいる。
「なんで、そんなこと言うんだ」
「千影」
「俺は、長谷川 光としては生きられない。どんなにしがみついても、今だけだ。あなたのそばにいられないのに、なのになんで……なんでそれを言わせようとするんだ!」
悲鳴のような声だ。そう思ったときには、腕を振り払われていた。
視界が柔らかな闇に閉ざされ、目を覆われたのだと気付く。
「お願いだから、俺を見ないで……見ないで下さい」
「逃げるな、答えろ。なにがお前を縛っている? 存在しないだなんて戯言を口にするわけを言え」
今、目を逸らしてはならない。追及を緩めてはいけない。
目隠しを外すため、二本の腕に手をかけようとしたときだった。
「俺は、あなたを想っている。誰よりも、強く、想ってる。……それでも俺は、あなたに応えません」
唇に、熱が触れた。
微かに震える頼りない熱が、暗闇の中で確かに触れたのだ。
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