SIDE:木崎

「……来たか、長谷川」
「はい。お待たせしました、会長」

二人の短いやり取りは、静まり返った世界に不思議なほどよく響いた。

体育館に囚われていた生徒たち全員が、壇上の光景に釘付けになっている。その顔に浮かぶ表情は、皆一様に呆気にとられたような間抜けなものばかり。目に映る現実を理解し切れていないことは明らかだ。

「ま、当然だよな」

僅か数十秒の停電で、すべては片付いてしまったのだ。危機的状況から急に解き放たれて、戸惑うなと言う方が無理だろう。思考回路が停止するのも当然だ。

だが、生徒たちの放心状態は長く続かなかった。

「はせ、がわ……?」

途切れがちな誰かの呟きをきっかけに、体育館の静寂は跡形もなく消え去った。

「はぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「うそだろ、意味わかんねぇ!」
「え、え? なんで、なんで!?」

狂乱状態に陥った生徒たちの絶叫と悲鳴に、地面がびりびりと震えている。窓ガラスに亀裂が走ったとしても、不思議ではないほどの騒ぎだ。

木崎はその尋常ならざる反応を、凍りつく救助チームの陰から眺めていた。

正門で光たちと合流したとき、木崎は思った。今回の一件は「使える」と。

平穏な学校生活に訪れた、イレギュラーな事態。突然の非日常に生徒たちの神経は張りつめ、些細なことで心は激しく揺れ動くはず。

もしも彼らの目の前で、神秘的な美しさを纏う一人の生徒が、武装した侵入者を鮮やかに打ち破ったとしたら。その生徒が、これまで見栄えがしないと思われていた「あの転校生」だとしたら。

果たして、どうなるだろう。

結果は予想通り。否、それ以上だ。

現実を受け入れ終えた生徒たちの口から溢れ出すのは、ただ一人に対する賞賛だ。惜しみない拍手と歓声に混じって、良家の子息らしからぬ指笛が聞こえる。

「抜け目のねぇおっさんだな」
「……俺はまだ四十だ」

傍らに並んだのは、ここまでの道中を共にした少年だ。ちらりと横目で見れば、仁志はため息を吐いたようだった。

「おかしいと思ったんだよ。あんたが理由もなく光を危険な目に遭わせるわけがねぇ。全部、狙ってやがったな」
「お前にごねられたときは、どうしようかと思ったな」

危なかったと肩を竦ませれば、仁志は嫌そうに眉をしかめた。この喧噪の中でも、恨みがましい呟きは耳が拾ってしまう。「無視しといて、よく言うぜ」と言われ苦笑が漏れた。

自分たちで体育館を解放すると言ったとき、仁志だけは反対した。直情径行型の彼にしては珍しい冷静な判断に驚きながらも、「絶対に大丈夫」と言い聞かせて警備室への襲撃、そして体育館の解放を行ったのだ。

「なぁにが「大勢で攻めたら気配でバレる。暗闇に乗じて光がリーダーを押さえろ」だよ。全部、あいつを主役にするためじゃねぇか」
「納得したろ? 速攻が得意だから、うちの子は」
「自慢してんじゃねぇよ、親バカ」
「ふーん、俺は事実を言っているだけだが、アキからすれば親バカなわけだ。俺が身内の贔屓目で過大評価していると言いたいわけだ。へー、そう、いい度胸してるな」
「ふぐっ! すび、すみませっ……」

容赦のない肘鉄に、仁志の喉が奇妙な音を出す。脇腹を押さえて震える金髪頭を、木崎はわしわしと撫でまわした。

「ま、お前の判断が正しいな。感情的になって自分から危ない橋を渡るヤツは二流だ。プロに任せるべきだって言ったのは正解だぞ、アキ」
「っ、うるせぇ! 髪崩れんだろうが、おっさん!」

すぐに振り払われたが、隠し事の出来ないその顔を見れば照れているのは一目瞭然。自分でも自制できたことを評価しているのだろう。嬉しさが滲み出ている。

しかし、面映そうに綻んでいた表情はすぐに怜悧なものへ変わった。切り込むような鋭い眼差しに、木崎も意識を引き締める。

「……いつ気付いたんだよ、今回の一件」
「なんのことだ」
「しらばっくれんなよ。分かってたんだろ、危険はないって」
「……」
「光は違う。あいつはなにも気付いてなかった。本気で碌鳴に手を出されたことにキレて、あぁしただけだ。でも、おっさんは分かってた。だから、光のことに利用したんだ。そうだろ?」

切れ長の双眸に宿るのは、疑念と警戒。木崎の正体を探ろうとする厳しい眼差しに、内心だけで笑みを浮かべる。

次代を担う生徒会長としての責任感と、純粋な好奇心もあるのだろう。

だが、彼が追及する最大の理由が、木崎の大切にする子どもであるのは間違いない。光の友人だからこそ、踏み込んで来たのだ。

「お前、本当にいいヤツだな」
「は?」
「これからも、千影のことを頼む」
「なんだよ、それ。話逸らしてんじゃ――」
「おや、どうやら落ち着いて来たみたいですよ。仁志くん、生徒会役員としてのお仕事があるんじゃないですか?」

穏やかな微笑みと共に口にしたのは、木崎ではなく保険医・武 文也としてのセリフだ。

体育館を満たしていた歓声は徐々に小さくなり、生徒たちの興奮は収まりつつある。事態の収拾に乗り出すには、絶好のタイミングだ。

物言いたげな顔でしばし睨みを効かせていた男は、未練を断ち切るように舌打ちを一つ残して人波の中心へ駆けて行った。

舞台の上では、光が侵入者を組み伏せたまま目を丸くしている。計算尽くの木崎とは異なり、生徒たちの反応など予想していなかったのだろう。

反対に、そのすぐ側に立つ男は得意げな笑みを浮かべている。まるで、なにもかも分かっているといった様子だ。

「嫌味な男だな、穂積 真昼」

もちろん、この程度のことを見通していないようでは困る。

愚鈍な輩に、この場所を任せるわけにはいかない。誰よりも千影に近い、この場所を。




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