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碌鳴学院の占拠という不測の事態に動揺していたが、冷静になればいくつかの不審点が見えてくる。
一つ目は侵入者たちの振る舞いだ。
彼らは必要最低限のこと以外は喋らず、ハンドサインとアイコンタクトで意思疎通を行っている。鍛えられた体躯をしているのは明らかで、銃を構える様も板についている。ある程度の訓練を積んだ玄人であるのは確かだろう。
しかし彼らは、碌鳴館の鍵を壊したときを除き、発砲していない。大人数を相手取る場合、威嚇や牽制を目的とした発砲は非常に有効であるにも関わらず、だ。
挑発的な態度をとった穂積以外、手荒な真似を受けた者がいないというのも腑に落ちない。
いくら碌鳴生が大人しいといっても、中には抵抗したり逃走しようとする生徒もいる。その都度、銃口を突きつけ脅しているのは不自然だ。そんな手間をかけずとも、見せしめを作ってしまった方が効率的であるのは言うまでもない。
二つ目はリーダーの男だ。
声音から察するに、まだ年若い男だろう。「暁の陽炎」のように指導者を仰ぐカルト要素を帯びた組織では、年齢はさほど重要視されない。求められるのはカリスマ性とも呼ばれる求心力であったり、他者を率いるだけの実力だ。
だが、このリーダーの男はそのどちらも備えているようには見えない。
先ほど穂積が口にした指摘は、挑発するための戯言ではなく本心からのものだ。兵としては使えても、将に据えるには足りないものが多すぎる。事ある毎にリーダーのフォローに入る、無口なもう一人の男の方がずっとまとめ役に向いている。
極めつけは、リーダーの男が見せた瞳である。穂積に拳を振り上げた瞬間、男の目に宿った色は躊躇だったのだ。
碌鳴学院が占拠されてから現在まで、穂積は余裕の態度を崩さずにいた。動揺や焦燥を表に出すことはなく、平時と同じ「上位者」の顔で侵入者たちと対峙し続けた。生徒たちにとっては心強くとも、侵入者たちからすれば目障りでしかない。
反抗的な穂積に人質という立場を分からせるためにも、生徒たちを完全に制圧するためにも、制裁は必要不可欠だった。
それなのに、リーダーの男は躊躇った。迷わず拳を振るわなければならない場面で、「穂積 真昼」を殴ることに迷ったのである。
それは指導者の解放だけを目指すテロリストに備わるはずのない、現実的な配慮であり恐怖だった。
「……そういえば、前に話していたな」
先代の生徒会長から聞かされた、ある「極秘事項」を思い出す。穂積とは異なり自由奔放な彼は「内緒だよ」と笑いながらも、面白そうに語っていた。
――三年に一度、事前通達なしに行われる行事について。
熱を持った頬を庇う素振りで口元を手で覆い隠すと、穂積は緩い笑みを浮かべた。
体育館の隅にいたリーダーの男が、例の無口な男を連れて再び壇上へ上がって来る。伸びた背筋と堂々とした歩みに、男が冷静さを取り戻したのだと理解する。
それが誰によってもたらされたのを考えれば、穂積の確信はますます強固なものへとなった。
さて、どう迎え撃つべきか。
第二ラウンドを始めるべく口を開こうとして――突如として灯りの落ちた体育館にぎょっとした。
薄暗闇に広がる生徒たちのざわめき、侵入者たちの重い足音、そして。
「落ち着け! 一人はブレーカーを確認しに……はぐっ!」
不自然に途切れた、リーダーの男の指示。
非常用の電源が作動し体育館に光りが戻ったとき、穂積の目に映る光景は停電前とは一変していた。
舞台の中央に倒れ伏すリーダーの男と、その背に乗り上げ腕を捻り上げる白いブレザー姿の少年。
苦悶のうめきを漏らす男に向かって、少年は艶やかな黒髪から覗く眼鏡をかけた面に、ぞっとするほど冷やかで蠱惑的な微笑を作る。
「うちに手を出して、無事で済むと思うなよ」
触れれば火傷しそうな絶対零度の怒りがこもった声に、急停止をかけられた思考回路が動き出す。
碌鳴生を解放する作戦の一環で、意図的に停電が起こったこと。宮園総合セキュリティの救助チームと思しき黒の戦闘服に身を包んだ男たちが、他の侵入者たちを拘束していること。自分を含め、生徒たちの安全が確保されたこと。
急変した事態を瞬時に察した穂積は、最後にようやく理解した。自分を助けに現れた目の前の少年が、誰であるかを。
「……来たか、長谷川」
はっきりとした声音で呼びかけると、少年はゆっくりと顔を持ち上げた。
手触りの良さそうな黒髪が後ろに流れ、端正な顔立ちが露わになる。眼鏡の奥に並ぶ紫水晶の双眸も、淡く色づいた艶めかしい唇も、高く通った鼻梁も吹き出物一つない滑らかな肌も。
神秘的な魅力に満ちた美貌が、穂積のみならず館内にいるすべての者の目に晒される。
「はい。お待たせしました、会長」
そう言って、碌鳴学院新生徒会副会長は小さく頭を下げた。
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