碌鳴学院奪還作戦。
碌鳴学院の正門前は、見通しの良い一本道だ。山中に建つ学校を訪ねる者は限られており、アスファルトで整備された道路は閑散としている。
ガードレールの向こうに並ぶ木々には紅葉の名残が見られ、秋の終焉を感じさせる冷たい風が吹くたびに、はらはらと虚空を滑り行く。
だが、この物悲しくも美しい静かな光景は、間もなく緊急車両のランプと大勢の報道陣によって破壊されることだろう。
正門の見張りを任された男は、やがて訪れる無粋な未来を思い、覆面の下で口端を歪めた。
「暁の陽炎」は七十年代を中心に世間を賑わせた、過激派の武装集団である。時代の流れと共に活動は縮小し、組織の弱体化を余儀なくされたものの、現在まで国際指名手配を受けるテロリストだ。
十数年前に最高指導者である元帥が逮捕され、長きに渡る裁判の末、最高刑が下された。今回の一件は、この判決をきっかけとしている。目的はもちろん、総帥の解放だ。
碌鳴学院には日本のみならず世界に影響を及ぼすような、政財界の大物の関係者が集っている。彼らを材料に取引すれば、必ずや交渉は成るはずだ。
男は手にした銃を握り直すと、緩みかけた意識を正すように目に力を入れた。
麓側から一台のタクシーが姿を見せたのは、そのときである。
正門から少し離れた位置で停車し、一人の少年が下りてくる。身に付けた真っ白なブレザーは、この学院の生徒であることを示している。
男は素早く正門の影に身を潜めると、気配を殺して様子を窺った。
少年は手元の書類束に視線を落としたまま、足早にこちらへ歩いて来た。学内の状況を知らないのか、その足取りに迷いや恐れは見られない。代わりに、書類仕事に対する焦燥と苛立ちが感じられる。
紙面に集中していたせいだろう。地面に躓いた少年の腕から、書類が投げ出される。「うわぁ!」と間抜けな悲鳴が聞こえ、男は肩の力を抜いた。
そうして男は正門横の通用門を僅かに開き、この先の展開を脳裏に思い浮かべた。
少年は慌てて書類をかき集め、再び小走りで門へとやって来る。門の脇のインターホンが不通なことに首を傾げながら、通用門が開いていることに気付く。一刻も早く仕事を進めたい思いで扉を開き――額に押し当てられた銃口に目を見開いた。
「え……?」
すべては男の予想通りだった。少年は男の開けた通用門を潜ったし、突然の事態に目を丸くしている。
だが、一つだけ予想を裏切ることがあった。
遠目には分からなかったが、少年は稀に見る美しい顔立ちをしていたのだ。それは先ほどの無様な姿が、なにかの間違いではないかと疑うほど。
眼前の美貌に動揺した男が、疑念を抱くまでに要した時間は数秒。しかしその数秒で、男は想定外の未来を迎えることになる。
突きつけられた銃口を素早く払い飛ばすと、少年は手にした書類を男の顔面に投げつけた。
宙を舞う紙束に視界を塞がれるも、間髪入れずに襟首を引かれ即座に腹へ力を込める。鳩尾を狙った膝蹴りをやり過ごし、首にかかった腕へ手を伸ばす。
しかし、少年はすぐさま身を離して拘束を免れると、男の脇を走り抜けた。
後を追うように振り返り、校舎へ向かう背中に銃を構える。そのままトリガーを引かなかったのは、失念しかけた「作戦」を思い出したからだ。
「っ……」
舌打ちと共に照準を脚へ移動させる。
多少、腕は立つようだが所詮はただの子ども。鉛玉に掠められれば、大人しくなるに違いない。
つい本気になってしまった自分を恥じながら、男は冷静に引き金を絞る――ことは出来なかった。
後頭部を襲った重い衝撃に崩れ落ちる。どうにか持ち堪えようと地面に手を突くが、背後からの襲撃者は甘くなかった。
容赦のない打撃が再び頸椎に落とされ、男は辛うじてつなぎ止めていた意識を手放し倒れ伏した。
「少しは加減しろよ、仁志。その人、生きてるよな?」
少年――光は通用門へ駆け戻ると、用意してきたロープで男を縛り上げる友人に顔を顰めた。
「銃で狙われてたんだぞ。手加減して撃たれたらどうすんだ、アホ」
侵入者たちは生徒を人質にして体育館に監禁している。それはつまり、なんらかの要求があり交渉を求めているということ。素性の知れない光に致命傷を負わせる可能性は、限りなく低い。例え撃ったとしても、威嚇目的の発砲であるのは明らかだ。
そう思ったものの、自分が仁志の立場だったらと考えて苦笑が漏れた。きっと、彼と同じように手加減などしない。
「アキの言う通りだな。この状況で舐めた真似してたら、あっという間にやられるぞ」
指摘の言葉に振り返れば、電話口で話したばかりの男が桜並木の奥から姿を見せた。白衣や眼鏡といった「武 文也」の変装はしていても、その言葉使いや余裕を感じさせる表情は木崎としてのものだ。
彼は仁志の手からロープを受取ると、縄抜けが出来ないよう結び目をきつくした。
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