背後から抱え込まれた体勢のまま、薄く開いた扉の隙間から廊下の様子を窺う。足音は階段の方から聞こえ、次第に近づいてくる。

そうして姿を見せたのは、目だし帽をかぶった男に連れられた友人の姿だ。平静を装ってはいるものの、綾瀬の中性的な美貌は強張っている。自由な言動で他人を振り回してばかりの彼も、この非常事態に落ち着いてはいられないのだろう。

歌音は息を殺して聞き耳を立てた。

「だから、僕じゃ動かせないんです。管理者権限はすでにセキュリティ会社に移行して――」
「信用すると思うか? あんな本格的な防犯システムを隠していたんだ。そんな言い訳が通じるなどと、本気で思っているわけじゃないだろうな」
「言い訳もなにも、事実しか言っていません。一度システムを落としたら、こちらから復旧させる手段はない。あなたのような人たちに、利用されたら困るからね」
「あまり調子に乗るなよ、ガキが。他の連中の前で醜態を晒したくなければ、今のうちに白状しておけ」

訓練通りに動いたのなら、綾瀬は大講堂のモニタールームで状況確認を行ったはず。そこを押さえられたとすると、彼らの論点がどこにあるかは自ずと見えてくる。書類棚にカモフラージュした、防犯カメラのモニター機器が見つかったに違いない。

大講堂から押し問答を続けているのか、侵入者の男は苛立った様子だ。手にした拳銃の先で、先行する綾瀬の背中を小突いている。その乱暴な仕草に、歌音は奥歯を噛み締めた。

綾瀬の口から呆れ果てたような呟きが洩れたのは、歌音たちの潜む隠し通路の前を通過したときである。

「もう、分かんない人だなぁ」
「お前……!」

男は綾瀬を突き飛ばし壁に押し付けると、痛みに歪んだ横顔へ銃口を食い込ませた。激情のこもった恫喝が、緊迫した空間に響く。

「調子に乗るなと、言ったはずだ」

静観して居られたのは、ここまで。

歌音は一呼吸分の間を置いてから「逸見」と呼びかけた。瞬間、傍らの体温が消える。

逸見は隠し通路を飛び出すと、挑発的な言葉に釣られて隙を作った男の頬へ勢いよく拳を叩き込んだ。突然の奇襲に反応できず、男は大きくよろめき綾瀬を解放する。間髪入れずに銃を握る相手の手首を片手で捕まえると、もう一方の手で目だし帽に包まれた後頭部を鷲掴み、思い切り壁へと打ち付けた。

「はぐっ……!」

顔面を潰された男は堪らず身体を折り曲げ激痛に喘ぐが、襲撃者の攻撃は終わらない。

未だ銃を持つ手を背中に沿わせて捻り上げながら、膝裏に爪先を蹴り入れる。そのまま脹脛を踏みつけ強制的に跪かせると、靭帯を破壊するように踵でねじ潰して床へ縫い止める。仕上げに奪い取った銃を後頭部に押し当てれば、侵入者の男の敗北は確定した。

逸見の目配せで廊下に出ると、歌音は床に座り込んでいる綾瀬に駆け寄った。

「綾瀬くん!」
「あ、歌音ちゃん……キミのナイトって、こんなに強かったんだね」

呆気にとられたように呟きながら、綾瀬は差し伸べた手に掴まり立ち上がった。

逸見が歌音の護衛役を担っていることは、碌鳴学院内でも周知の事実だ。

だが、歌音の家柄の都合上、二人が「主人」と「側近」の間柄にあることは隠されている。生徒たちは彼らの関係性――恋人あるいは幼馴染――から自然発生的に作られた役割だと思っているのだ。逸見の理知的な風貌や書類仕事に従事している点なども影響し、彼が本格的な訓練を積んだ「護衛」と気付く者はいなかった。

ある程度、逸見に戦闘能力があることを知っていた綾瀬だが、先ほどの容赦のない戦いぶりは予想外だったらしい。放心状態から脱するように、紅茶色の瞳を瞬かせた。

「それで、この人どうしようか。どこかの部屋に閉じ込めて、僕らは体育館に行く?」
「うん、ちょっと予定外の出来事があったけど、訓練通りにするのがいい」

綾瀬の提案に賛同する。だが、またしても逸見が否を唱えた。

「駄目だ。他に校舎の哨戒をしている者がいた場合、こいつが消えたことに気付かれるかもしれない。そうなれば後から体育館に合流した俺たちが疑われる。抵抗の意思があると思われるのは危険だ」
「けど、この人の不在が発覚する前に、救助チームが到着する可能性もある」

ジャミングのおかげで、学内で使用できる通信機器は極一部だ。侵入者たちが仲間内での連絡手段を持たないならば、事の発覚までには時間がかかる。その間に宮園総合セキュリティの救助チームが現れる可能性は、十二分に考えられた。

「あれ、ちょっと待って」

今後の動きを検討していると、思い出したように綾瀬が言った。

「本校舎内には四人の侵入者がいたはずなんだ。各階に一人ずつ」

この人は二階の扉から大講堂に入って来たから、担当は二階だよね。なら、一階の担当者は?




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