「この間から、嫌な予感がしていたんだ。ハズレてくれたらよかったのにね」
「例の清掃業者か?」
「遠目に見ただけだから断言はできないけど、違うと思う。でも、仲間の可能性は高いね」

新生徒会が鳳桜学院へと立った翌日のこと。早朝の碌鳴館付近で、清掃業者の男を目撃した。穂積自身はさして気に留めていなかったのだが、綾瀬が「念のために」と繰り返すので、一時的に玄関扉の施錠を強化していたのである。

「僕らが気付くまで警報が出ていなかったということは、最初にここを落とすつもりなのかな」
「だろうな。先に警備室や管理事務所を狙っていたら、とっくに警報メールが来ていたはずだ」

言葉を交わす間にも、二人は動き続けている。穂積は手早くブレザーとワイシャツを脱ぐと、壁際のチェストから防弾ベストを取り出した。慣れた手つきで装着し、上から制服を着こむ。敵の動きを考えれば、被弾の可能性は低い。それでも、世界的大企業の御曹司として、対策を講じるのは義務だった。

綾瀬は重要書類をシュレッダーに突っ込むと、隣接する給湯スペースに走って行く。奥には非常時用の出口に繋がる隠し扉があり、そこから脱出するのが彼の役目だった。

だが、綾瀬はなにを思ったかピタリと足を止めてしまった。振り向いた顔には、物言いたげな表情が浮かんでいる。

「どうした、早く行け」
「穂積、やっぱり僕が――」
「変更は認めない。訓練通りに動け」

先に続く言葉を察するや、穂積は厳しい口調で遮った。不安に揺れる紅茶色の瞳を、冷徹な目つきで見つめ返す。

「HOZUMIの後継者と綾瀬家次男、利用価値が高いのはどっちだ」
「利用価値の高さが命綱の強度だってことは理解してるけど、でもっ」
「なら立ち止まるな、時間がない」

あえて高圧的に命じれば、綾瀬は諦めたように息を吐き出した。瞬く間に動揺を処理し終えて、すぐに普段通りの落ち着きを取り戻す。許可が下りないことを、予想していたのかもしれない。

「――分かった。けど、忘れないでよ。きみが重要人物であるほど、最悪のケースに陥ったときの被害は深刻になるんだ」
「あぁ、だから無理はするな。自分の身の安全を第一に考えて行動しろ」

念を押すように言うと、綾瀬は「きみもね」と返して今度こそ給湯スペースの奥へと消えた。隠し扉の閉まる微かな振動をかき消すように、外で銃声が鳴り響く。

「修理費の請求先を見つける必要があるな」

苛立たしげな舌打ちをしながら、穂積は携帯電話を耳に当てた。いくらも待たずに電話は繋がり、焦燥が色濃く表れた声が応答する。

『はい、仁志ですっ』
「メールは見たか」
『はい、確認したところです』
「小火器を携帯した侵入者二名を碌鳴館前に確認した。仲間は未確認だが、二日前に別の不審者を見ている。入念な下準備をした上での犯行だろう」

現段階では、例の清掃業者を侵入者の仲間と断じることは出来ない。だが、その男が今回の一件と無関係だったとしても、敵が事前に情報収集をして来ているのは確実だ。

碌鳴学院の設営母体が宮園総合セキュリティに代わって以降、学内の防犯機能は向上し続けている。それを突破して侵入を果たしただけでも脅威だというのに、彼らは真っ先に碌鳴館へとやって来た。良家の子息が揃った生徒の中でも、とりわけ重要な肩書を持つ者が、授業中にいるのは教室ではないと知っているのだ。

目的がなんであろうと、重要な肩書を持つ者――生徒会役員を確保することは、計画を達成する上で非常に有効な手段だ。役員を押さえることで警備スタッフの詰める警備室や、外部への迅速な通報手段を持つ管理事務所の抵抗を抑制し、生徒たちの行動を支配できる。

侵入者の行動は、碌鳴学院の心臓を十分に理解したものだった。

「俺と綾瀬は訓練通りに動いたが、歌音は逸見と共に本校舎だ。お前たちも本事案が収束するまで、訓練に則った慎重な行動をしろ」
『分かりました』
「これ以降、俺からの連絡はない。……いいか、無茶だけはするなよ」

暴走しがちな後輩に釘を刺すと、返事を待つことなく通話を切った。

執務室の扉が乱暴に開かれたのは、穂積が自身の携帯電話を踏み壊したと同時。ひび割れて使い物にならなくなった残骸をデスクの下に蹴り入れつつ、目だし帽をかぶった男に向き直る。

「なんだ、お前たちは」

怯むことなく傲然と言い放てば、相手は僅かに面食らった様子だ。動揺を誤魔化すように、手にしたオートマチック拳銃を構え直す。

「騒ぐな、この施設は我々の支配下にある。こちらの要求に従う限り、命の保証はしよう」
「なるほど。我が身を守らなければならない俺は、そちらの言葉通りに動くしかないらしい。いいだろう、要求を言え」
「……まずは校内放送で生徒及び教職員に無抵抗を呼びかけてもらう。放送室へ」
「分かった、ついて来い」

いったいどちらが有利な状況なのか。穂積の口ぶりは、我儘を受け入れる寛容な主のようだ。

穂積は緊張を感じさせない余裕の表情で、侵入者の前に立って歩き出した。室内をチェックしていたもう一人が先頭につかなければ、彼の背後にいるのは侵入者ではなく従者に見えたかもしれない。

一階の放送室に着くと、穂積は命じられるより先に機材のスイッチを入れて、放送席に腰を下ろした。手元のボタンを押し、アナウンスの合図を流す。

口を開こうとしたところで「待て」と制され、肩を竦めてマイクを譲り渡した。

「構内にいる全生徒及び全職員に告ぐ。現時点をもって、本学は我々『暁の陽炎』によって占拠された。諸君が我々の命令に従順である限り、我々が諸君らの生命を脅かすことはない。しかし、諸君らの一人でも我々の命令に背けば、それを反逆行為と見なし当該人物あるいはここにいる人質の身の安全は保障しない」

男は感情を排した平板な声で告げると、穂積の方へマイクヘッドを動かした。妙な真似はするなと言うように、背中に硬質な感触が触れる。

まったく、無駄な心配をしているものだ。失笑する心を落ち着かせて、穂積は口を開く。

その凛と響く美しい低音は、先ほどの侵入者など比較対象にもならないほど、他者を従わせる力に満ちていた。

「生徒会長の穂積 真昼だ。全校諸君、自らの身の安全を最優先とし、各自冷静な判断による適切な行動をせよ。以上だ」

碌鳴学院始まって以来の重大事件が、幕を開けた瞬間だった。




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