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繰り広げられるであろう惨劇の、被害者は自分だ。
そっと瞼を落とせば浮かび上がるビジョン。
加害者たちにとっては光が『悪者』であり、そうされるのが当然なのだろうけれど、こちらとしては勘弁願いたい。
土台、無理な話だが。
再び目を開いても夢ではないので事態は変わらず。
いや先ほどより取り囲む生徒が増えているから、悪くなったと言えるか。
正面でも背後でも、生徒たちは口を動かし何かを言っている。
それぞれの顔をみれば、内容の見当は簡単だ。
こちらを哀れんでくれる人間など存在しないと分かれば、聞く必要もない。
さきほどから聴覚は停止させていた。
耳に入ってはいても、脳が認識しなければいい。
所謂『右から左』。
呼吸はもうすっかり落ち着いていた。
心臓も気持ちが悪いくらい大人しく、思考もクリア。
今思えば、どうして逃げている最中、自分はあんなにも動揺していたのか疑問でならない。
死の間際はこんなにも穏やかなのだろうか。
自分の鼓動がよく聞こえた。
手足からすぅっと血が引いていく感覚は、少しぞわぞわする。
痛いだろうな、なんてぼんやり思った。
生憎、ここ数年は誰かに殴られたことがないから、耐えられるかどうか心配だ。
もしかしたら痛みは最初のうちだけで、無痛なんて領域に突入するかも。
結末が変わらないのなら、その方がいいな。
妙な考えを廻らせた光は、うっすらと微笑んだ。
それを見て、群衆の怒りのボルテージが最高潮に達したらしい。
あぁ、来る。
せめて直視しないでおこうと、もう一度視界を閉ざそうとした光は、けれど聞いた。
音を消した世界で。
今の自分の名を呼ぶ声を。
「長谷川っ!」
無音を切り裂いた透き通った音色。
光は寄りかかっていた窓硝子に、極限まで開いた眼を寄せた。
「な、なんでっ!?」
聞き間違いではなかった。
あのよく通る声は、彼以外の誰のものでもない。
ゴミ虫と自分を呼ぶ傲慢な男の声。
慌てて窓を開いた光は、下方の地上から初めて目にする表情で、こちらを見つめる存在に驚いた。
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