奪われた箱庭。
SIDE:穂積
時は少し遡る。
碌鳴学院に迫る脅威にもっとも早く気付いたのは、綾瀬だった。
「碌鳴館も静かになったねぇ」
「……なんだ、突然」
感慨深げな呟きに、穂積は手元の書類から目を上げた。訝しげな表情で発言者を窺い見れば、綾瀬は仕事の手を止め室内を見回している。
「うん、ちょっとね……。少し寂しい気がしたんだ」
「寂しい?」
幼馴染の意外なセリフに興味を惹かれ、疑問符を添えて繰り返す。先を促す問いかけに、相手は小さく微笑みながら頷いた。
「今までは雑談する余裕もないくらい、忙しかったじゃない。一日中、みんなで執務室に缶詰めになることも珍しくなかったし。それなのに、ここにいるのは僕ら二人だけだ」
「歌音ならすぐに戻るだろう。新生徒会の連中も、今日中には帰って来る」
「……穂積って時々、信じられないくらい鈍いよね」
そういう意味じゃないんだけど、と呆れたように肩を竦められる。
だが、穂積とて本当に意味が分かっていないわけではない。
一月後、穂積たち現生徒会は解散する。業務の大半はすでに新生徒会に引継がれており、碌鳴館の主が彼らに代わる日も近い。年が明ければ卒業まではあっという間だろう。雑談に興じていられる時間のゆとりが、他に人のない静まり返った碌鳴館が、膨大な量の仕事と格闘し続けた日々の終わりを意識させた。
「生徒会業務が片付いても、俺にはHOZUMIの仕事があるからな。感傷的になるのは、暇を持て余している証拠だろう」
「また捻くれたこと言って。穂積には高校生活を惜しむ気持ちが……え?」
「どうした」
中途半端に途切れた文句に続いたのは、動揺を感じさせる一音。突如としてパソコンのディスプレイに向き直った綾瀬は、キーボードの上に手を滑らせた。
異変を察した穂積は、席を立って綾瀬の背後から画面を覗き込む。写し出された映像に、二人揃って息を呑んだ。
それは碌鳴館の玄関前に取りつけた防犯カメラの映像だった。リアルタイムで届く視覚情報は、この施設の前に二人組の男がいることを教えてくれる。黒い目だし帽を被って人相を隠した姿にぎょっとする。
だが、なによりも穂積たちを驚愕させたのは、その手に黒い凶器を見つけたからだ。日常生活では決して目にすることのないシロモノに、防衛本能が目を覚ます。
穂積はすぐに自分のデスクへ戻ると、引き出しの裏側に隠れた非常用ボタンを押した。直後、ブレザーの内ポケットに入れた携帯電話が振動する。非常事態を告げる緊急メールは、ボタン一つで学院に在籍するすべての者の端末に送信されるのだ。
「穂積、彼ら鍵を撃ち壊すつもりだ!」
「お前の勘を信じて正解だったな」
カメラ映像を監視する綾瀬の報告に、穂積はにやりと口端を持ち上げた。
碌鳴館の出入り口はカードキーと暗証番号の二重ロックが採用されている。重要な書類や機密情報を扱うため、セキュリティに手抜かりはない。
とはいえ、普段はどちらも解除している。日中、碌鳴館が無人になることは滅多にないからだ。誰かしら役員が仕事をしているのが常で、施錠は終業時のみというのが実情である。
今日に限って施錠していたのは、綾瀬の提案だった。
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