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「涼しい顔っ……しやがって……」
掠れた声で吐き出された呟きに、呆気にとられる。
鳳桜館の前からここまでは、それなりに離れている。
訓練を積んだ調査員の光ならば兎も角、温室育ちの神戸が息切れをするのは当然だ。
光の素性を知らないとはいえ、落ち込まれるとは思わなかった。
フルリムの眼鏡の奥で目を瞬かせていると、相手はふいと顔を背けてしまう。
極まりが悪そうな横顔には、自己嫌悪が透けて見えた。
「おい、神戸」
「……それで、文句でも言いに来たのかよ」
「は?」
「長谷川が貰えよ、あいつもお前のこと好きみたいだし」
「はぁ?」
息が整った頃合いで呼びかけた光は、またしても想定しないことを言われ戸惑った。
神戸がなにを言いたいのか、理解不能だ。
「よく分かんないけど、落ち着けよ」
まだ気が昂ぶっているのだろうと、座り込んだままの彼の肩を叩く。
神戸は一瞬だけ忌々しげな眼で光を睨みつけたが、すぐに威勢をなくして俯いた。
「ごめん。八つ当たりだ」
「だろうな」
わざと軽い口調で応じてやれば、神戸は短く苦笑する。
自らの非を認めたことで、頭に上っていた血が引いたらしい。
先ほどまでとは打って変わって、気落ちした風情でしょげている。
いつも元気な神戸の珍しい事態に、お節介と知りつつも聞かずにはいられなかった。
「なにがあったんだ」
「……」
「言いたくないなら、これ以上は聞かないけど」
「……調理実習」
「え?」
耳慣れぬ単語に首を傾げる。
「調理実習で作ったからって、小鳥が」
歯切れの悪い物言いではあったが、その内容は光の状況理解に大きく貢献した。
つまりは、こういうことだ。
小鳥は調理実習で作った何かを、神戸へプレゼントしようとした。
それを断ろうとして、勢い余った神戸は彼女を突き飛ばしてしまったのだ。
無残にも地面へ落ちた包みを思い出す。
綺麗にラッピングされた淡いピンクの袋には、明らかに好意がこもっていた。
感情的になって光に嫌味を言うくらいなら、なぜ素直に受け取らなかったのか。
怪訝な思いでいたとき、ふと光の思考はあることに行き着いた。
「もしかして、碌鳴にいる小鳥ちゃんの婚約者って、神戸?」
「は? なんだよ、今さら」
驚いたように問い返され、光の方こそ驚いてしまう。
小鳥本人から婚約者の存在を教えられてはいたが、それが彼だとは知らなかった。
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