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迷っているのも、怯えているのも、千影ではなかった。
穂積は怖れたのだ。
真剣に千影を問い詰めて、自分の勘違いを突きつけられたら。
――俺が会長のこと? 好きなわけ――
あの言葉の続きを、はっきりと叩きつけられたら。
千影の「本音」を怖れて、穂積は逃げ続けていた。
激情を御し切れなかったことを、情けないとは思わない。
けれど、無理やり口を噤ませたことは反省している。
千影の言葉を正面から受け止めない不誠実な自分が、ひどく惨めで情けなかった。
「告白の返事に怯えるなんて、穂積も人の子だったんだね」
「どういう意味だ」
「穂積ってば、昔から妙に大人びていたというか達観していたというか……まったく可愛げがなかったじゃない。僕、きみが十歳年上って言われても驚かない自信があるよ」
笑い混じりに言われ、思わず顔を顰める。
横目で睨みつければ、意外にも優しげな横顔があった。
綾瀬は並木道の先に佇む碌鳴館を見据えたまま、穏やかな声音で続けた。
「でも、こうして落ち込んだり狼狽えたりするきみは、昔よりも感情的で年相応に見える。それなのに不思議だね、今の方が成長しているように思えるよ」
たった一人の相手に翻弄され、みっともなく心乱しているというのに、なにを言うのか。
けれど、反論をする気は起きなかった。
穂積自身、千影との出逢いが自らにどれだけ大きな変化をもたらしたのか、実感していたからだ。
「それで、これからどうするの?」
「決まっている。今度こそ、千影と向き合うだけだ」
例え望むセリフを得られなかったとしても、千影の言葉を正面から受け止める。
逃げるつもりも、逃がすつもりもない。
力強く言い切れば、決然とした想いが胸を満たした。
寮を出たときとは異なる、すっきりと落ち着いた気分になる。
それが誰のお蔭か認めないわけにもいかなくて、穂積はさり気なく幼馴染を窺い見た。
「……少し、気分が晴れたな。綾瀬、ありが――」
「ねぇ、この時間に清掃スタッフを見たことある?」
話の流れを完全に無視した発言に、珍しく抱いた綾瀬への感謝は正反対の感情へと変化する。
綾瀬の注意は真面目に心境を吐露していた穂積ではなく、煉瓦道を外れた林の中を歩く作業着姿の男に向かっていた。
清掃用具を抱えたスタッフを、不思議そうに見つめる綾瀬の頭をガシリと片手で掴む。
ぎりぎりと力を込めてやれば、途端に綾瀬の悲鳴が上がった。
「痛い! 痛いってば!」
「自分から話を振っておいて、興味が失せたらその態度か。いい度胸だな」
「ごめん、ごめんって! せっかく穂積が素直にお礼を言いかけていたのに、よそ見しててごめんな……ってわー! 痛いってばー!」
清々しい朝の空気が打ち破られ、けたたましい叫び声が青空に響いた。
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