◇
「情けない……」
堪え切れずに呟けば、背後から小さな笑い声が届いた。
ピタリと足を止めぎこちなく振り返れば、おかしそうに頬を緩める綾瀬がいる。
「すっかり悩める若者って感じだね、穂積」
「……いつからだ」
「いつから見てたかってこと? キミが丸めた背中を伸ばして歩き出した辺りから」
つまり寮を出てから今の今までということ。
一気に疲労が押し寄せて来るのを感じ、穂積は深く息を吐き出した。
「お前の尾行に気付かないとはな」
「いやだな。尾行なんて言ったら、僕がきみをストーキングしていたみたいじゃない。そんなデメリットしかないことしないよ」
「……」
発言内容は間違っていないのだが、微妙に腹が立つのはなぜか。
すべては綾瀬だからこそ、である。
複雑な表情でいる穂積に構わず、綾瀬は隣に並ぶと一緒に歩き出した。
「それで、今度はなにに悩んでいるの。長谷川くんのことでしょう?」
「……」
「あのね穂積、どうせ僕が言い当てて白状することになるんだから、大人しく打ち明けた方がいいと思わない?」
「……別に長谷川のことではない」
「えぇ! ここまで言っても遠回りする!?」
信じられないとばかりに叫ばれて、穂積は込み上げる苛立ちを抑え込もうと深呼吸を繰り返す。
悪気どころか他意すらない相手に怒ったところで、体力を消耗するだけだ。
溜息一つで切り替えて、素直に胸の内を吐き出した。
「本当に長谷川のことじゃない。俺自身のことだ」
綾瀬の眉が訝しげに寄せられる。
騒ぐのを止め、続きを促すように無言になった。
それに背中を押され、穂積もさらに一言、気付いたばかりの想いを音にした。
「俺は、自覚する以上に臆病になっていたらしい」
初めて告白をしてからというもの、穂積は開き直ったように千影に迫っていた。
意識的に千影との時間を増やし、気持ちを隠すことなく積極的な行動を取り続けた。
しかし同時に、偽ってもいた。
口説き文句を口にしながら、千影との攻防戦を楽しんでいるかのように振舞ったのだ。
愛を囁く唇には自信が漂う微笑を添え、熱情を宿す双眸には遊戯的な余裕を滲ませた。
迷うならば待つ、怯えるならば退く、心のままに頷くときが来るまで傍にいる。
そう言い聞かせるように、切迫した内心を押し隠していたのである。
「平気な顔をすることで、あいつに逃げ道を作ってやっている気でいたんだ」
「本当は?」
「俺が逃げていた」
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