◇
穂積の告白に対する返事ならば、すでに態度で示している。
恋情を殺しきれないせいで納得こそされていないが、光の拒絶は彼への答えと言えるだろう。
けれど篠森は「なにか一つでも」とつけた。
光には穂積へ「返す」べきものが、他にもあるということだ。
戸惑いを感じ取ったのか、相手の瞳が鋭さを増す。
「お前、今まで真昼からなにを受取った。わたしが見ただけでも、あいつはお前に多くの配慮をしていた。呆れるほど大事にしていた。その気持ちに、お前は報いたのか」
自分の息を呑む音が、はっきりと聞こえた。
ダムが決壊するかのごとく、頭の中で記憶が氾濫する。
梅雨には珍しい蒼天の下で、穂積は光を叱り飛ばした。
日差しがさし込む弓道場で、穂積は光の背中を押した。
線香花火が瞬く夏の公園で、穂積は光の怯えを消した。
運び込まれた夜の保健室で、穂積は光に誓いを捧げた。
秋風が紅葉を揺らす裏庭で、穂積は光を認めてくれた。
天を暗雲が覆った林の中で、穂積は千影の名前を呼んだ。
もらって、もらって、もらって。
穂積に与えられた記憶が、怒涛のように蘇る。
身に危険が迫ったとき、苦しみに耐えきれなくなったとき、変化に気付かずにいたとき、穂積はいつだって手を差し伸べてくれた。
千影の傍に、在り続けてくれた。
ならば千影はなにを彼に返しただろう。
迷惑をかけ、憤りを感じさせ、挙句の果てには傷つけている。
ただ、自分のためだけに。
胸の奥深い場所から湧き出でる衝動に、千影は唇を震わせる。
全身に広がる絶望感に、目の前が暗く塗り潰される。
穂積を信頼していた。
感謝もしていたし、恋心だって抱いていた。
けれど篠森に突きつけられるまで、千影は享受しているだけの現実に気付いていなかった。
いつの間にか、穂積から与えられる状況に慣れてしまっていたのだ。
自意識に沈んだ千影の耳に、落胆のため息が届く。
傍らの篠森が席を立つのを、気配だけで感じた。
「わたしにとって真昼はただの腐れ縁だ。だが、大事な幼馴染でもある」
冷やかな口調で紡がれる言葉が、遠く、近く聞こえる。
「確かに、今のお前ではあいつの隣に立てないな。――相応しくない」
果たして誰が言ったのか。
千影には自分自身が言っているように聞こえた。
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