「痕がつくぞ」
「っ!?」

突然落ちて来た声に、千影はビクリッと肩を震わせた。

我に返って視線を持ち上げれば、声の主が隣のソファへと腰かける。

緩く波打つワインレッドの髪を掻きあげて、篠森 薫子は鮮やかに微笑んだ。

「顔を合わせるのは碌鳴祭以来だな、長谷川」
「篠森会長……って、なんでここにいるんですか」
「お前に会いに来たに決まっている。分かり切ったことを聞くな」

何を今さらとばかりに返されて脱力する。

いくら鳳桜学院の中といっても、ここには碌鳴生徒会が宿泊をしているのだ。

夜も深まった時間に、女性一人で訪ねてくるなど大問題。

迎賓館のスタッフに見つかりでもすれば、何がなくとも光まで処罰されかねない。

だが、平然とした態度の篠森に、光は常識を説くのを早々に諦めた。

「見つかっても知りませんよ」
「こんな時間に誰が来るというんだ。前から思っていたが、お前は余計なことを気にし過ぎる。小鳥と同じだ」
「お言葉ですが、篠森会長が無頓着過ぎるんです。穂積会長以上ですよ」

嘆息交じりに言い返すと、相手は楽しそうに口端をつり上げた。

相変わらずの華麗な微笑みに、なぜだか寒気を覚える。

濃い睫毛に縁取られた意思の強い瞳に見据えられ、頬が引きつった。

「あの、なんですか?」
「真昼とはどうなっているのか、と思ってな」
「どうって……別に、どうもなっていませんけど」
「なに? あいつ、まだ告白もしていないのか?」

彼女の疑問に頷くなど、普段ならば簡単だったに違いない。

調査員として嘘に慣れた身だ。

近頃は素直になる機会が増えたけれど、習得したスキルをもってすれば誤魔化せただろう。

けれど、穂積の苦しげな表情が再び脳内で像を結び、光は返事のタイミングを逃してしまった。

身動ぎもせず硬直していれば、篠森は得心したように笑ってソファに深く身を沈めた。

「進展しているようだな」
「……なんで、知っているんですか」
「ん?」
「会長の、その、心の内というか」
「あぁ、お前を好きだと? 分からない方が難しいだろう。真昼とは付き合いが長いからな、あいつの態度を見ていれば一発だ」

歯切れの悪い物言いをする光とは対照的に、篠森はあっさりと言ってのける。

「あれほど他人を気にかける真昼など、見たことがない」

そう続けた彼女の声音が、いつになく柔らかい気がして、光の思考回路が一気に動いた。

口喧嘩をしている印象が強くて忘れがちだが、穂積と篠森は婚約者の間柄だ。

穂積の心の在り処はともかく、篠森が彼に恋愛感情を持っていないとは限らない。

自分と将来を誓う相手が、別の人間に想いを寄せているのは、不快ではないのか。

篠森を相手に恋愛相談のような真似をしてしまった自分に、サァッと血の気が引いて行く。

恐る恐る窺い見た先で待ち構えていたのは、鋭い眼光を宿す双眸だった。

「今、お前がなにを考えているか当ててやろうか」
「え」
「私にとって不愉快極まりないことだ」
「不愉快って……」

何を返せばいいのか分からずにいると、篠森は行儀悪く舌打ちをしてから、一気に捲し立てた。

「私とあいつの関係は、幼馴染で腐れ縁。それ以上でもそれ以下でもない。追加をするにしても、目的を共有する同志という程度だ。妙な気を回すのは杞憂でしかない」

「わかったか」と吐き捨てるように言う相手の顔は、言葉の通り心底嫌そうだ。

婚約者という肩書に囚われ恋心の存在を疑ってしまったが、思い過ごしだったらしい。

言われた内容を咀嚼し終えると、光はほっと胸を撫で下ろした。




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