不釣合な薔薇。




パソコン画面から顔を上げると、飛び込んで来た時計の針は随分と進んでいた。

間もなく日付が変わる時分だ。

神戸たちと別れてから現在まで、休憩も挟まず用意して来た生徒会の仕事をこなしていた。

目頭に纏わりつくような疲労感があるのも仕方ない。

光は天井目がけて両腕を伸ばすと、凝り固まった筋肉を解すためにデスクを立った。

迎賓館に用意された部屋は、まるでホテルのようなワンルームだった。

広さも申し分なく、鳳桜での滞在期間が快適なものであるよう、配慮された造りになっている。

光はぼんやりとした面持ちで、改めて部屋を眺め回し「贅沢だな……」と呟いた。

交流会の開会式は、明日の朝礼で行われるという。

時間に余裕のあった今日とは異なり、授業体験や視察など様々な予定が組まれている。

連日の仕事疲れもあるのだから、早めにベッドへ入って明日に備えるべきだろう。

頭では分かっているのに、光はまだ風呂にも入っていない。

心がざわつき落ち着かないのだ。

逃げるようにパソコンを開いてはみたものの、あらかたの案件を片付けて尚、胸の内にある不快感は消えずにいた。

快適なはずの部屋に息苦しさを感じ、光はふらりと外へ出た。

行き着いたのはフロアのラウンジスペースだ。

案の定、無人の空間にほっとして、光は窓辺にある一人がけのソファに腰を下ろした。

碌鳴学院と同じく鳳桜学院も山中に位置する。

賑やかな街のネオンは遠く、窓の向こう側ではまばらな街灯が静かな夜闇に灯っている。

黒に染まった並木が風に揺れ、葉擦れの音が僅かに届いた。

何をするでもない一人きりの空間に、光の意識は容易く現実を離れた。


――言うな


痛みを押し殺した、苦しげな声。


――それを聞いて俺が何も感じないと思うか


激情を宿した、突き刺さる眼差し。

傷つけたばかりの男の姿が脳裏に蘇り、千影は唇を噛み締めた。

あの日から、何度自らの身勝手な振る舞いを後悔しただろう。

胸に宿る恋情を隠しきれないまま、穂積の告白を撥ね退け続けたのだ。

それが彼を苦しめていると気付かずに。

生きる世界が異なる以上、千影が穂積の想いを受け入れることはない。

ならば千影は、彼に対する感情を悟られてはならなかった。

完璧に隠し通し、一切の迷いを見せずに拒絶をしなければならなかった。

けれど現実は、育ち過ぎた恋心の存在を気取られ、徒に期待を持たせてしまった。

千影の曖昧な態度がために、穂積は苦痛に苛まれているのだ。

少年はそっと制服の胸元に手を当てると、自嘲的な笑みを零した。

「無理だ……」

食堂で呟いたのと同じセリフが、唇から零れ落ちる。

あのとき千影は、穂積が卒業するまでの間だけ、恋に溺れられはしないかと夢想した。

碌鳴学院の生徒らしく、終焉を想定した関係を想像した。

そして答えは、即座に導き出された。

「無理なんだよ……」

一時の夢に浸ることも、穂積への恋心を捨て去ることも、千影には出来ない。

絶対に出来ない。

想いを音にしたが最後、自らの立場も忘れて穂積を求めてしまう。

期限を迎えた穂積に別れを告げられたら、息が止まってしまう。

無様と分かっている、醜悪と知っている。

けれど、どうしたってこの想いを殺せない。

穂積に注ぐ感情は、今や千影の中でもっとも激しく燃えているのだ。

穂積を苦しめるだけと理解していながら、千影は恋を捨てることが出来なかった。

力の籠った指先がシャツにシワを生み、その下の皮膚に爪を食い込ませる。

血の滴る傷口を押さえるような、根深い病巣をはぎ取るような、咎人を罰するような、強い力の籠った指先だった。




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