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かち合った紅茶色の瞳は澄んでいて、他意はないと容易に知れる。
出会ってから今まで、嘘をつき騙し続けた千影を責めるでもなく、罵るでもなく、ただ問うているのだ。
脳裏に蘇るのは、修学旅行の夜。
すべてを知ったときの仁志と、目の前の綾瀬の姿が被って見える。
千影に注ぐ真っ直ぐな眼差しからは、優しさと温もりだけが感じられる。
あのときはすぐに理解することができなかったけれど、今は違う。
示された心が、はっきりと分かる。
だから、唇を開くことに恐怖はなかった。
「もう、嘘をつきたくないと思ったからです」
「嘘?」
「俺は「長谷川 光」ではなく、千影だって言いたかった。会長や綾瀬先輩、歌音先輩に逸見先輩……。俺はもう、大切に思う人たちに嘘をついたままでいたくなかったんです」
調査員としては決して許されない行為。
いくら存在意義の可能性が広がったからといって、何度も個人的な感情を優先していいわけがない。
せめて果たすべき役目を終えてからにするべきだ。
理性はそう叫ぶのに、目覚めた欲求を堪え切れず木崎に許可をもらっていた。
「甘いな。もし俺たちの中にインサニティの密売人や関係者がいたらどうするつもりだ」
「いるんですか? この中に、そんな人が」
「俺たちの家柄が分かって言っているのか」
得意の策謀家めいた笑みを浮かべ、逸見は試すように続けた。
歌音と逸見の正確な家柄は分かっていない。
木崎が調べた情報によると、アダムスはここ数年で急成長を遂げている貿易商社であり、逸見家は古武術の宗家である。
逸見本人は家から絶縁されているということだが、歌音も含めてそれだけではないらしい。
だが、隠された裏側があったとしても、彼らが碌鳴学院を危険に陥れるだろうか。
千影は首を横に振ると、はっきりと言い切った。
「いません、この中に密売人なんて。そう教えてくれたのは、先輩たちです」
短いながらも交流を持ってきた千影は、この場にいる全員に確かな信頼を寄せている。
綾瀬や歌音は、光の外見に囚われず最初から親切に接してくれた。
迷ったときには導いてくれた、弱さを見せて頼ってくれた。
穂積や逸見は、最初こそ警戒心を抱く相手だったけれど心根は優しかった。
分かり難い気遣いや不器用な思いやりに、気が付いたのはすぐだった。
「それに、先輩たちほどドラッグを扱うのに向かない人はいないんです」
どんな人格者でも、過ちを犯すときはあるだろう。
立場や状況が、個人の人間性に反した行動を取らせることもある。
しかし彼らには、その「過ち」に手を染める余裕がない。
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