◆
こんな気持ちは初めてだ。
相手の気持ちを無視しても、自らの欲求を貫きたくて仕方がない。
そして同じくらい、自分の欲求から遠ざけて護ってやりたかった。
本当に、情けない。
自嘲するような笑みが、口角を歪ませる。
そのとき、制服のネクタイがぐいっと下方に引っ張られた。
勢いに抗えず身を屈めた穂積は、前髪を避けて額に触れた手に息を呑んだ。
ひんやりとした掌の温度に、茹だった意識が正される。
昏く歪んだ視界が明瞭になり、こちらへ手を伸ばす少年の姿がはっきりと見える。
先刻の自分と同じように、光の熱が穂積の肌に触れていた。
「俺の素顔が、気になりますか」
「っ……」
「気にして、くれるんですか」
当たり前だろう。
叫んでしまいたかったけれど、喉が詰まって声は出なかった。
前髪の隙間から覗いた眼鏡越しの瞳と、目が合う。
真剣で、強い瞳だった。
揺るぎない、力のある瞳だった。
「もっと、気にしてください」
声は震えていなかった。
いつものように、不思議と耳に心地よい中低音だった。
「もっともっと、気にかけてください」
それなのになぜだろう。
涙を堪えるように見えるのは。
嗚咽を殺すように聞こえるのは。
「そうすれば俺は、頑張れます」
なぜだろう。
――あなたにもっと、近づくために
声なき声が、聞こえた気がした。
――例え隣に立てなくても
「頑張れるんです」
光の熱を感じながら、穂積はただ黙って眼前の想い人を見つめ続けた。
- 713 -
[*←] | [→#]
[back][bkm]