「近づいたと、思うか」
「はい?」
「お前は俺の手を取って、ここに来た。世界を跨いで、ここに来た。俺とお前の距離は……近づいたと思うか」

光がこの場に立っているのは、穂積の誘いを受けたからに他ならない。

世界の隔たりを失くして見せると、同じ世界に引き込んでやると。

そう言い放った穂積の言葉を承諾したからこそ、光は今、穂積と同じフロアに存在している。

ならば、光と穂積の間の境界線は、取り払われたと思っていいのだろうか。

或いは、境界線を越え始めたと思ってもいいのだろうか。

穂積の意図するところを察した光は、僅かに逡巡したようだった。

だが、俯けた顔を持ち上げるや迷いのない声で言った。

「俺は今、会長の世界へ足を踏み入れようとしています」

ぞわりっと。

背筋を何かが駆け昇った。

昏くて、重くて、熱いものだった。

「だから、俺と会長の距離は近づいています。俺は、そう信じています」

だったら、なぜ。

気付いたときには、光の眼鏡のブリッジに人差し指をかけていた。

ドア枠を掴んで抑えていた手が、とうとう欲求に負けたのだ。

光は咄嗟のことに反応できず、硬直していた。

このまま指を引き寄せれば、光の素顔は露わになる。

光の秘密を暴けるのだ。

そう確信するや、穂積はぐっと奥歯を噛み締めた。

まるで接着した部分を引き剥がすかのように、眼鏡から手を退ける。

直前で殺された衝動は、そのまま扉へと打ち付けられた。

ガンッと派手な音が、静かな世界に響き渡る。

きつく握り締めた拳の内側で、切り揃えたはずの爪が肉に食い込むのが分かった。

「悪いっ……」
「会、長」

驚愕に彩られた声が、己を呼ぶ。

情けなかった。

これは嫉妬だ。

くだらない、醜い嫉妬なのだ。

光と仁志が親しい友人関係であるのは理解している。

光が仁志を見る目に切ない想いは欠片もないし、仁志には綾瀬という最愛の想い人がいる。

光は穂積のものではないし、ましてや穂積は自分の気持ちすら告げていない。

だから、嫉妬をする権利などないというのに。

自分の許されていない光の秘密を、自分以外の誰かが知っている事実は、狂おしいほどの激情を生んだ。




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