侵入。




光は体育館二階の教員用トイレに身を潜ませていた。

気配を殺し、ただ携帯電話のディスプレイだけを見つめ続ける。

待ち受け画面に表示されたデジタル時計が、約束の十一時を示した。

途端、光は音もなく扉を開け、細心の注意を払いつつ無人の廊下に滑り出た。

眼鏡に隠された瞳が捉えたのは、体育教官室と彫られたプレートだ。

扉の横にあるカードの挿入口に、先日与えられた生徒会役員用の金色のそれを差し込めば、軽い電子音と共にロックが外れる。

薄く扉を開き、最大の警戒心を持って室内に入り込んだ。

蛍光灯のついていない体育教官室は、予想通り無人であった。

現在のところ、インサニティの売人候補としてもっとも有力なのは、体育教師の佐原 裕也だ。

彼が占有しているこの部屋を調査対象に加えたのは、新生徒会役員となる前のこと。

自分のゴールドカードを持っていなかった光は、すべての事情を知る仁志を頼った。

そこで聞かされたのは、ゴールドカードの使用記録は厳しいチェックにさらされているという情報である。

学内のほぼすべての鍵を開けることが出来るのだがら、冷静に考えれば当然と言える。

いくら歴代の生徒会役員の多くが人格者であったとしても、個人の私室すら自由に出入り可能な代物を、何の対策もなしに与えられるはずがない。

どうしたものかと木崎に相談したところ、彼は数日待つように言った。

一体なにをどうやったのか。

恐らくはマトリである間垣を使ったのだろうが、彼は今日の午前十一時からの一時間、この部屋への入室記録が残らぬよう手を打ってくれた。

光が体育教官室に侵入を果たせたのは、そのためである。

念のために皮手袋をはめた手で、調査員はデスクの引き出しを開けた。

中には予備のホイッスルやストップウォッチ、文房具などが雑然と収められている。

次々と別の引き出しを引いて行き、書類は片っ端から手繰る。

探しているのは佐原が売人である証拠だ。

インサニティそのものが出て来るのが一番だが、顧客名簿や彼の背後にいるであろう資産家との繋がりを示すもの、現金や通帳といった報酬の類でも構わなかった。

続けて壁際の書類棚やロッカーにも調査の目を向ける。

ロッカーには佐原の黒い鞄が入っていて、躊躇なく中の手帳を改めた。

期待したのは当然、事件性のある情報だ。

取引場所であったり、外出の予定であったり、現金の受け渡しであったり。

しかしながら、味気ないダイアリーには会議の予定や仕事関係のことしか記されてはおらず、内心だけで舌打ちをする。

唯一、赤ペンでチェックされていた日付には「明帆バースデー」と書き込まれていて、光はそっと手帳を閉じた。

デスク、書類棚、ロッカー、そして鞄。

目ぼしいところを粗方探索した頃には、すでに残り時間は半分を切っていた。

「まずいな……」

口の中で呟いた一言には、焦燥が滲んでいる。




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