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理解が遅れ、光は呆然と発言者を見つめた。
「確かにHOZUMIの跡継ぎと探偵事務所の調査員じゃ、生きる世界はまるっきり違ぇだろうな。けど、それなら同じ場所に行けばいいだけの話だ」
「……」
「碌鳴の副会長って役職は、会長が生きる世界に入る足掛かりになる。分かるか? お前の働き次第で、どっからでも声がかかるんだぞ」
上流階級の子息が集う碌鳴学院は、各界から注目を浴びている。
生徒会副会長は、その運営組織のナンバー2だ。
在任中に能力の高さをアピール出来れば、常に優秀な人材を求めている企業や名家に目を留めてもらえるだろう。
特に光の場合、後ろ盾が何もない。
権力構図に敏感な者たちからすれば、下手に手垢の付いていない分、獲得しやすいのだ。
「……それでもHOZUMIには届かないだろう」
「まぁな。けど会長との隔たりはなくなるぞ。調査員よりはずっと近い位置に行けるし、実力と運があればいくらでも距離は縮まる」
光は言葉を失った。
穂積との間に引かれた絶対的な境界線を、越える方法が存在するなど思いもしなかった。
裏稼業にも近い調査員という職を辞し、「碌鳴学院生徒会副会長」という役職を踏み台にして、表舞台へ上がりさえすればいいのだ。
しかも、それを実現させるために必要な環境は、すでに整いつつある。
世界の隔たりとは、これほど簡単に崩れるものだったのか。
だが、それは光にとって夢のように現実感のない話だった。
物心がついた頃には、すでに調査員である自分しかいなかった。
調査員であることがすべてではないと気付いても、己の根幹を形成しているものに変わりはない。
調査員という要素を完全に手放すことなど、想像すら出来なかった。
「そういや、お前っていつから探偵やってるんだ? 家業みたいなもんなら、簡単には辞められねぇよな」
「うん、そんなところ」
仁志の問いかけに、光は我に返った。
曖昧に頷き答えを濁す。
訝しげな目線を向けられたものの、これ以上の回答は出来なかった。
探偵は家業ではない。
所長である木崎と血の繋がりはなく、パートナーとして共に仕事をこなしていても、後継者として扱われたこともない。
光――千影が調査員となった理由も、調査員を続ける理由も、本来ならばあり得ないのだ。
千影が調査員であることは、木崎の罪だった。
「というか、そもそも俺が告白して成功するわけないだろ」
「なんでだよ」
漂いかけた追及の気配を払拭するように、光は話題を元に戻した。
仁志も乗ってくれて、内心でほっと息をつく。
しかしながら、元の話題も長引かせたくはないという点では一緒だ。
仮に境界線を越えることが出来たとしても、穂積が光の想いに応えてくれるわけがない。
光は知ってしまったのだ。
穂積には「光」よりもよほど強い感情を注ぐ相手がいるのだと。
「俺じゃなくて「千影」なら、判らないけどな」
皮肉っぽい微笑が口角を歪める。
あの夜耳にした穂積の叫びが、鼓膜にこびりついて離れない。
「よく分かんねぇけど、俺は成功率かなり高いと思う」
「……え?」
意外なセリフに落ちていた視線を持ち上げれば、仁志は平然とそれを口にした。
「だってお前ら、キスしてただろ?」
パンドラの箱が、開く。
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