蘇る記憶。
唇を引き結び一心不乱に足を動かしていた少年は、寮の自室に入ったところでようやく冷静さを取り戻した。
穂積の行為に戸惑い、昏く変化した己の感情を恐れ、これ以上醜い心を彼の前で晒したくなくて逃げてしまった。
何をやっているのだろう、と自嘲の笑みを零しかけた光は、ふと己の手が掴むものに気が付いた。
「あ……」
「おう」
確かめるように見上げた先で、案の定、金髪頭の友人と視線がぶつかる。
仁志の腕を掴んだままでいたと、すっかり忘れていた。
彼も彼で、文句の一つもなく光について来るから、途中で我に返ることもなかったのだ。
光はずっと掴んでいた手を放しながら、苦く笑った。
「ごめん、ここまで付き合わせて」
「……」
「仁志?」
無言の相手に違和感を覚え呼びかけると、仁志は難しい表情でじっと光を見下ろした。
「お前、会長となにかあっただろ」
「……なんで」
「んなの態度見りゃ一発だ。会議の前もちょっと様子が違ったけど、さっきのはそれ以上だ。なにかあったって思わない方がおかしい」
きっぱりと断言されて、光はぐっと押し黙った。
仁志の見立ては的確だ。
会議が始まる前に交わされた穂積とのやり取りは、人前でこそないが二人きりのときには決して珍しいものではない。
内容は違えども、幾度か経験したことのある空気だった。
だが、エントランスホールでの一件は違う。
あれは初めて感じた空気だ。
いつになく触れてくる穂積に乱された思考。
他意なく発せられたセリフに刺激された嫉妬心。
身勝手な不満を叫ぶ己の醜い一面に慄き、身も心も硬く強張った。
二人の間に流れた重苦しい沈黙は、光の急激な心理変化が生み出した違和感のせいに違いない。
あれは穂積への恋心を自覚したがための空気なのだ。
黙秘を選んだ光だったが、仁志の視線は揺らぎもせずに降り注ぐ。
逃がすつもりはないのか、そらされる気配もない。
直線的な眼差しは少年の抱える想いに突き刺さるようだ。
静寂のままに繰り広げられる攻防戦は、長引くことなく幕を下ろした。
喉元に堰き止めていた呼気をふっと吐き出すと、光は観念したように降伏宣言をした。
「会長が好きだって、気づいたんだよ」
言霊にした、未熟な本音。
今はまだ、この熱情を持て余し振り回されている。
驚愕で見開かれた切れ長の瞳に苦笑して、光はリビングのラグの上に座り込んだ。
釣られたように、仁志もすとんっとソファに腰を落とす。
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