◇
SIDE:穂積
エントランスホールに一人取り残された男は、音を立てて閉じた扉を未練がましく見つめていた。
先ほど拒絶を受けたばかりの右手は、身体の横で力なく垂れさがっている。
とうに消え失せた瞬間的な痛みを握り込むように、拳を作った。
「逃げられちゃったね」
不意に肩に感じた重みに、穂積はちらりと背後を窺った。
見れば、どこか愉快そうに微笑む綾瀬が顎を乗せているではないか。
甘栗色の長い髪が、白いブレザーの胸元にまで落ちてきた。
「……何のことだ」
「しらばっくれてもダメ。見てたよ、キミの熱烈なアプローチ」
軽く身を揺すれば、綾瀬はあっさりと離れた。
穂積の正面へと回り込み、黒曜石の瞳を覗き込むように上目遣いで指摘する。
「長谷川君が心配なのは分かるけど、動揺させちゃ可哀想じゃない」
「動揺、していたか」
「どういう意味?」
「見破られたかと……」
つい本音を零しかけて、穂積は慌てて口を噤んだ。
光を呼び止めたのは、単に後夜祭での一件が気になったからだ。
人目を避けるように会場を出て行った彼にもどかしくなって、辛いときくらい自分を頼れと言うつもりだった。
けれど、実際に光と二人きりになるや、穂積の心はえもいわれぬ後ろめたさに苛まれた。
光に恋をしておきながら、近頃の穂積は千影に意識を傾けている。
あの夜目にした寂しげな微笑が、脳裏に焼き付いて離れない。
愛しい相手を前にしたことで、己の不実を突きつけられた気分になったのである。
穂積の想いを光が知るわけもないのに、一方的な罪悪感は瞬く間に膨れ上がり、胸の拍動を盛大に乱した。
いつになく積極的に光に触れたのは、惑う己を律するため。
誰に恋し、誰を想い、誰を欲しているのか、己自身に再認識させるためだった。
性質が悪いのは、一連の行為をすべて無意識に行っていたところだろう。
急に様子がおかしくなった光に、もしや熱があるのではないかと伸ばした手を叩き落とされるまで、穂積は己の打算を自覚していなかったのだ。
光は気付いたのかもしれない。
穂積の手に込められた感情は、彼を案じるものだけではないことに。
自らの揺らぎを彼によって安定させようとした、卑怯な穂積に。
気付いたのかもしれない、そう思うや後悔が津波のように襲いかかった。
光の救済であろうとしたというのに、なんという有様だ。
守ると決めた相手に縋りかけたとあっては、情けないにもほどがある。
拒絶を受けるのも当然だと、心の中で自嘲した。
黙り込んだ穂積をじっと観察していた綾瀬は、珍しくため息をついてみせた。
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