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これまでも穂積が気にかけていてくれたことはあったのに、こんな気持ちになったのは初めてだ。
どくどくと騒がしい鼓動を落ち着かせる意味も込めて、光は努めて冷静な態度で返した。
「はい。少し気分が悪くなったので、念のために寮に戻りました」
「熱は?」
否定と共に首を横に振れば、穂積ははた目にも明らかに安堵する。
会議前のやり取りのときよりも、さらに優しい瞳に晒されて、光の心臓は努力も虚しく拍動を忙しなくさせた。
マズイ。
穂積の些細な言動に、過剰反応をしている。
以前ならば何ということもなかったすべてが、神経をつま弾き胸を震わせるのだ。
これでは身が持たない。
恋心というものの思わぬ弊害に、光は内心で焦燥を募らせた。
時間や余裕がなくて先延ばしにしていたが、これは早急に対処をしなければならないだろう。
そう思った瞬間。
「疲れが出たんだろう。碌鳴祭の準備に随分と力を入れていたと、仁志から聞いた」
「っ……!」
「頑張ったな。客としてお前のクラスに行けなかったのが残念だ」
徐に伸ばされた穂積の手に頭を撫でられ、息を呑んだ。
子供相手にするようなそれではなく、髪を撫でつけるような繊細な手つきに全身が硬直する。
身動ぎすら出来ずにただ穂積を見上げているうちに、彼の手は頭から滑り落ちて頬に添えられた。
親指の腹に肌を撫でられ、正体不明の痺れが膝の裏に走る。
霞がかっていく脳裏に危機感を覚えた光が正気に戻れたのは、穂積の次のセリフのせいだった。
「お前が戻っていないと分かった時点で、様子を見に行こうとも思ったんだがな。上手く時間が取れなかった」
何も知らなければ、忙しい最中に気遣ってくれた彼に感謝していただろう。
生徒会の仕事で手一杯にも関わらず、心配していてくれたのだと。
だが、上昇を続けていた光の体温は、一気に冷え切った。
くすぐったい喜びを押しのけて、昏く尖った感情が胸の奥から姿を現す。
光は知っているのだ、穂積が時間を取れなかった理由を。
穂積が様子を見に来なかった原因を、知っているのだ。
耳奥で蘇るのは、夜を貫いた必死の叫び。
望まれたのは、ひと夏を共に過ごしただけの少年。
「千影」と出遭い、「千影」を求め、「千影」に囚われていたから、穂積は「光」の元へ足を運ばなかったのである。
穂積は「光」よりも「千影」を優先したのだと理解すると同時に、光は「千影」に嫉妬する己を自覚して、眉を寄せた。
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