湧き上がった感情に従い手を伸ばすと、仁志は背中まで伸びた綾瀬の髪を一房取った。

「綾瀬先輩がいてくれたから、俺は頑張れたんです」

身を屈めて毛先に口づける。

小さく跳ねた華奢な肩に腕を回し、僅かに瞠られた瞳を見つめ続けた。

行ける。

夢にまで見た瞬間の訪れを確信し、仁志はゆっくりと顔を近づけた。

しかし。

「そう言ってくれると嬉しいな。そうそう、僕の兄も碌鳴で書記を務めたことがあってね!」
「へ?」

常と変らぬ朗らかな調子で言うと、綾瀬はするりと仁志の腕から抜け出した。

漂い始めた甘い空気が一気に払拭され、仁志は切れ長の双眸を困惑に揺らす。

「あ、あの、綾瀬先輩?」
「ん? どうかした」
「いや、どうかしたって言うか、なんて言うか……ワザとですか?」

これで距離を取られたのならば、間違いなく確信犯だろうに。

席を立った綾瀬は、ごく自然な態度で仁志の隣にやって来るから判別できない。

キスを拒否されたのか、偶然なのか。

「え? 僕なにか変だった!?」
「……すみません、何でもないです」

狼狽えた麗人に、仁志は嘆息に煩悩を混ぜて吐き出した。

どうやら関係の進展には、鋼の心と頑強な忍耐力が必要らしい。

完璧にセットされた金髪に手を入れて、ガックリと項垂れながら自分自身に言い聞かせた。

「あ、これ。僕の兄さん」
「……書記をやっていたんですっけ?」

仁志は無理やり気持ちを切り替えると、疲れた笑顔の浮かんだ顔を持ち上げた。

綾瀬が差し出していたのは、デジタルフォトフレームだ。

海をモチーフにしているらしく、水色の枠には貝殻や珊瑚の飾りに混じって二頭のイルカがあしらわれている。

写し出されているのは、和服を纏った端正な容貌の青年だった。

畳の上で正座をしており、傍らには茶器が一式揃っている。

綾瀬と共通しているのは髪と瞳の色くらいで、身体的な類似点は他に見られなかったが、白皙の面に湛えたたおやかな微笑は、想い人との血の繋がりを感じさせた。

「霞くんって言うんだ。碌鳴の卒業生でね、仁志くんみたいに書記を経験した後、生徒会長になったんだよ」
「へぇ。先輩は三人兄弟の真ん中でしたよね」
「うん」

霞の名前は聞き覚えがあった。

「綾瀬」は旧財閥の企業グループだ。

国内に限ればHOZUMIグループとも複数の産業部門でしのぎを削る間柄で、国内有数の名家と言える。

現在、母体企業のトップは綾瀬家当主が担っているが、その後継者である綾瀬 霞の名は業界では広く知られていた。




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