あの夏の日々、千影は確かに穂積との間に線を引いていた。

深い追いされぬよう、警戒をしていたのだ。

それなのに再会をした夏の妖精は、穂積の追及を望んでいるようではないか。

真意を探り当てようと見つめた瞳は、澄んだ色に抗い難い引力を有していた。

手を伸ばしてしまいたい、内側へ踏み込んでしまいたい、彼の秘密を暴いてしまいたい。

本能的とも言える強烈な欲求が込み上げ、意識せぬ間に距離を詰めていた。

目を離したことを、どれほど悔やんだだろう。

バルコニーから夜の中へ飛び込む後ろ姿に、線香花火の灯りが潰えるのを思い出した。

鮮やかな色彩、火薬の匂い、夏虫の鳴く公園、別れの言葉。

遠ざかる、後ろ姿。

またしても千影は、闇に紛れて消えてしまったのである。

あの夜とは異なり、追及を求めていたというのに。

逃がしてはならなかったのではないのか。

ハロウィンの日から、穂積の脳内は後悔によく似た疑問で占拠されていた。

穂積は肺に詰まった呼気を吐き出した。

意識を正せば、手元の書類が意味を伴って脳に認識される。

それは先日行われた、生徒会長選挙に関する一枚だった。

案の定、対立候補が出なかったため、仁志の次期生徒会長就任は決定された。

穂積の推薦のせいもあるが、何より彼の実力がこの結果を導いたのだろう。

他の役員については、数日後に控えた任命式で発表となる。

次期副会長の欄に記載された生徒の名前に、穂積の眉が苦しげに寄せられた。

長谷川 光に恋をしていると気付いてから、もう一月が経った。

鳥の巣のような黒髪や人相を隠す黒縁眼鏡を見ても、胸に宿った感情は僅かにも揺らがず、むしろ日に日に確固たる想いへと成長している。

救いの手であろうとした己を拒絶されたときは、正直、不安にならずにはいられなかったが、体育祭や碌鳴祭では概ね好意的な態度で応じられていたと思う。

副会長への就任を了承されたときは、喜びを堪えるのに必死だった。

穂積には光に新たな挑戦の場を与えたいという気持ちとは別に、自分の傍へ来て欲しいと願う私心があったのだ。

碌鳴学院生徒会、その副会長という経歴は、二人の対外的な距離を確実に縮める。

生きる世界の隔たりを越える、第一歩に足り得る力がある。

承諾の言葉を聞いた瞬間、穂積は差し出した手を取ってもらえたような心地になった。

光へと抱く恋慕の念は、疑いようもない。

そう断言できるのに、今の穂積の頭を占めるのは、想い人とは異なる人物。

夏季休暇から大きく変化していた千影だが、後夜祭以降、穂積もまた変わってしまっていた。

あの夜まで、千影に対する気持ちは純粋な心配だった。

突然、行方を眩ましたどこか陰のある少年の心身を、労るように気にかけていたと言うのに、この胸を苛む焦燥はなんということか。

闇に逃がしてしまった己への憤りは、もう一度会いたいと渇望する己の心は。

恋い焦がれているようだと気がついて、頭を抱えたくなった。

己が恋をしたのは誰だ、別の人間だろう。

長谷川 光に想いを傾けているのだろう。

恋情の在り処に間違いはないと言うのに、千影を求める自分自身を否定できない。


――随分と気の多い男になったな


いつか篠森が口にしたからかいの文句が蘇る。

馬鹿馬鹿しいと一蹴できたあの頃に戻りたい。

光を想い、千影に焦がれる己を自覚してしまえば、同じセリフは口に出来なかった。

どちらを取るかと問われれば、迷うことなくあの転校生を選ぶとしても、穂積は初めて遭遇した己の不誠実な一面にデスクへ突っ伏した。

彼の中で光と千影の間に横たわる明確な境界線が、薄れ始めていると気付くのは果たしていつか。

本能はすでに真実へ惹き寄せられている。

仕事とは別の理由で疲弊した男が碌鳴館を出たのは、日付が変わるころだった。




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