近頃の自分は、我儘ばかりだ。

贅沢ばかりを口にして、木崎を困らせている。

心苦しくは思うのに黙っていられないのは、真の想いがゆえ。

次々と溢れ出し始めた本当の気持ちに、保護者は何を返すのだろうか。

思ったときだった。

「本気か……」
「え?」
「本気で言っているのか」

小さな呟き声に違和感を覚え、顔を上げた千影は、青褪めた木崎の面に息を呑んだ。

愕然と見開かれた双眼に光りはなく、深い絶望の闇が広がっている。

憤怒、悲痛、落胆。

予想していたどれとも異なる強く深い感情が窺え、彼の受けた衝撃のほどを如実に物語る。

過去に遭遇したことのない木崎の様子に、心臓が不穏なざわめきを立てた。

一気に膨れ上がる罪悪感と己への嫌悪感。

心のどこかで、木崎は優しく微笑んでくれるかもしれないと期待していた、身勝手な自分自身に、羞恥よりも吐き気が湧いて来る。

「ご、めん。ごめん、武文……でも俺――」
「違うっ」
「っ!」

悲鳴にも近い乱雑な一言が、千影の声を遮った。

木崎は椅子から立ち上がると、少年の細い両肩を抱えるように掴んだ。

身を屈めるや、真意を問いただすかの如く瞳を覗き込む。

「違う、そうじゃないだろう、千影っ」
「なに……」
「お前はまだ、調査員でいようとするのか!? 気付いても、まだっ……!」

必死な叫びは血を吐くような痛みを湛え、千影の胸を突き刺した。

意味が分からない。

木崎が何を言いたいのか、何を求めているのか、まるで分らない。

どうして彼は怒って、悲しんで、苦しんでいるのだろう。

自分の何が、彼を傷つけたのだろうか。

肩を掴む手は強く、指が骨を軋ませる。

痛い。

縋るものではなく、糾弾の手であると悟って、呼吸がつかえた。

千影の喉は完璧に閉じ、返せる言葉は一つとしてなかった。

ただ呆然と、衝動に支配された対面の眼を見つめ返すばかりだ。

木崎の感じた、己の与えた痛みの正体を、見つけようとして。

「っ、悪い」

唐突に我に返った木崎は、パッと肩にかけた手を放した。

一歩だけ後ずさり、ぎこちない苦笑をこしらえる。

「思いもしなかったことを言われたから、少し驚いた。痛かっただろう、ごめんな」
「あの、武文」
「ん?」

いつもの優しい調子で促されるものの、口にすべき言葉は持っていない。

何も言えずに黙り込めば、木崎の右手が頬を包んだ。

普段ならば安心できるぬくもりが、今日は遠く感じる。

「さっきの話、いいぞ」
「いいの……?」
「あぁ。お前には休みらしい休みを与えたことなんてなかっただろう? インサニティの調査が終わったら、長期休暇にしよう」

見上げた先には、千影の不安を払拭させるような微笑。

千影の願いを聞き入れてくれた、理解ある優しい保護者の貌。

素直に喜ぶべきところだ。

どれほど感謝をしても足りぬくらいだ。

けれど少年の唇が奏でたお礼の言葉は、純粋な歓喜とは程遠いものだった。

「ありがとう、武文……」

抑揚の薄い、頼りない声が保健室に落ちる。

千影はぬるい体温から離れ、踵を返した。

振り返らぬまま挨拶を投げ、扉から廊下へと出る。

閑散とした廊下を進む千影の内側では、確かな疑念と困惑が渦巻いていた。

己の何が木崎を傷をつけたのか、木崎は己の何に傷つけられたのか。

何を求め、何を願っているのか。

誰よりも大切で、誰よりも近しい人の心の中は、まるで見えない。

見せてもらえない。

もしこのとき、保健室に残った男の囁きが、千影の耳に届いていたとしたら。

何かが変わったのだろうか。

「この手は使いたくなかったんだけどな……」

罪人の懺悔の欠片が、届いていたとしたら。




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