千影は須藤の後について、職員寮の玄関を潜った。

生徒寮よりも随分と簡素なエントランスは、各部屋へのメールボックスと形ばかりのソファセットがあるだけで、寮というよりもマンションを彷彿させる。

エレベーターホールを素通りして階段を選んだ男は、背後を顧みることなく三階まで上って行く。

誰とすれ違うこともない無人の廊下を歩きながら、千影は建物全体が静まり返っている印象を覚えた。

やはり、これは罠だったのだろうか。

いざというときは他の職員に助けを求めるつもりでいたのだが、こうも人気が薄いと難しいかもしれない。

職員全員が不在のはずはなくとも、大声を出したくらいでは意味がなさそうだ。

せめて木崎に連絡を入れておけばよかったと後悔しても、もう遅い。

一室の前で足を止めた須藤は、カードキーで鍵を開けると、扉を開いて千影を流し見た。

「さぁ、どうぞ」
「先に入れ」
「……分かりました」

固い声で命じた千影に、須藤はクスリと笑いながら従った。

部屋の電気をつけ、奥へと入って行く。

ぎこちない足取りでそれを追いかければ、広々としたリビングに行き当たった。

黒いソファセットとテレビがあるだけの殺風景な内装に、生徒寮とよく似た構造だと気付く。

奥に見える二つの扉は、それぞれ寝室と書斎に続いているのだろう。

「コーヒーでも淹れましょうか」
「必要ない。早く本題を話せ」
「随分と緊張していますね。さっきと口調が変わっているよ」
「っ……」

教師の顔でなされた指摘に、千影は条件反射で謝罪しそうになって、慌てて口を閉じた。

うっかり「長谷川 光」が出てきてしまうところだった。

これまでは教師と生徒の立場で交流を持ってきた相手だ。

いくら警戒対象に加えていたと言っても、やはり急に売人候補と調査員の関係に切り替えるのは難しいらしい。

未熟な自身に内心だけで歯噛みする。

千影の胸中なと知らぬ須藤は、軽く肩を竦めてからソファに腰を下ろした。

「分かりました、余計なお喋りはなしにしましょう。どうぞ」

あっさりと言って、彼は千影にも席を勧めた。

何か起こった場合、素早く対処するために立ったままでいたかったが、仕方あるまい。

渋々と対面のソファに腰をかけると、須藤は先ほどと同じく満足そうな笑顔になった。

じっと見つめられ、居心地の悪さを覚える。

彼の視線は千影の身を締め付けた。

錠の付いた鎖で雁字搦めにするような明確な拘束力ではなく、まるで優しい両手が喉元に絡みつくような曖昧で不気味な捕捉。

その両手がどんな感情を携えているのか読めないせいで、防衛本能が打ち鳴らす警鐘は小さく頼りない。

従うには弱く、無視をするには耳につくのだ。




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