◇
味気ない着信音が、二人きりの煉瓦道に鳴り渡る。
ピリリリリ、ピリリリリ、ピリリリリ。
鼓膜を打つ甲高いそれを終らせたのは、紙袋の中から薄型の携帯電話を見つけ出した須藤だった。
彼は電話を耳に当て、口を開く。
『貴方を見つけるのは、実に容易かった』
銀髪のファントムが紡いだセリフが、手の中から、対面から、届く。
須藤の面に滲み出た妖しげな微笑に、千影は不敵な笑みを返した。
同じく電話を耳に寄せ、傲慢に言い放つ。
「お互い様だろ」
監視カメラの映像を見て以来、その存在を気に掛けてはいたが、実際に銀髪の男と顔を合わせたのは今夜が初めてだ。
たった一回の接触で素姓を特定したのだから、千影の言葉に間違いはない。
「銀髪の男」を見つけたものの、「須藤 恵」の正体は見破れなかったのだが、それはこの際棚に上げておく。
千影は電話を切ると、怜悧な眼光で相手を射抜いた。
「お前がインサニティの売人か?」
碌鳴学院にドラッグを広め、生徒たちの凶行を後押しし、若く未熟な心を翻弄した犯人なのか。
須藤は滑らかな音色で応えた。
「ここまで辿りついたことは、褒めてあげましょう。優秀な子は、好きですよ」
「……」
「ですが、残念ですね。私は君の言う売人ではありません」
まるで最後の計算をミスしてしまった生徒を注意するように、須藤は優しく言った。
こちらの反論を待たずに先を続ける。
「詳しい話は私の部屋でいかがです? ここでは誰に聞かれるか分からない。君も困るでしょう」
千影は返事に窮した。
当初の予定では、逃走や抵抗を図るであろう銀髪の男を捕え、証拠隠滅の隙を与えぬ内に木崎と共にありとあらゆる調査を行うつもりだった。
堂々と無実を主張し部屋に招いて来るなんて、想定の範疇外だ。
現状、須藤は限りなく黒に近い。
万が一、売人でなかったとしても、霜月の一件は間違いなく銀髪の男、すなわち須藤の犯行である。
千影の口を封じるために、自分のテリトリーに誘い込もうとしている可能性は十分に考えられる。
彼の話を聞きたくとも、己の身に危険が及ぶと思えば即答はできなかった。
口を噤む千影に気付いた男は、ふと思いついたように手にする携帯電話を顔の横で振って見せた。
「私の話を聞いてもらえたら、このケータイをお返ししましょう」
舌打ちを堪えるのに苦労した。
あの携帯電話は空っぽだ。
アドレス帳は白紙だし、メールや通話記録はすべて削除している。
残っている情報は、せいぜい今しがたかけた「長谷川 光」の携帯電話の番号くらい。
ここまで来たら正体を知られても調査に影響が出るとは思えないし、光や千影について調べられたところでどうせ大した情報は出て来ない。
だが、木崎は別だ。
特殊な技術さえあれば、携帯電話の削除データを復元することが出来る。
当然ながら、あの携帯からは幾度も木崎に連絡をとっており、彼の番号を調べられれば事務所やマトリとの繋がりを知られる危険があった。
ここは実力行使に出て、予定通り須藤を拘束してしまおうか。
妙な迫力と底知れぬ不気味さで油断ならない相手だが、腕ずくで押さえつけることが出来ないとは思えない。
脳裏を過った物騒な考えは、すぐに理性によって却下された。
短絡かつ浅薄な行動を取れば、必ずツケが回ってくるものだ。
信憑性の有無は別にしても、彼が無実を主張しているのならば当初の行動に出るのは軽率である。
語ろうという内容にも興味がないとは言えなかった。
千影は密かに息を吐き出した。
身体の横でぎゅっと拳を握り締め、覚悟を決めると、内心の動揺を綺麗に隠して艶然と微笑んだ。
「納得のいく話を期待してます、狂気(インサニティ)のファントム」
須藤はひどく満足そうな笑みを零すと、寮への歩みを再開させた。
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