果たすべきこと。




穂積への恋情を意識するや、脳内は混乱と焦燥でパニックを起こしかけていた。

これまで穂積にとって来た自分の言動や、彼から与えられた数多の優しさ、光と千影の両面で積み重ねて来たすべての記憶が溢れだし、眩暈を起こす。

心臓が尋常でないスピードで拍動を刻み、全身の血液が沸騰しそうなほどに熱い。

頼りない自意識が粉々に砕け散ってしまいそうな事態に、本能的な危機感が目を覚ますのは当然だった。

全身を支配する混乱を沈めるように、激しい警鐘が脳内を貫く。

千影は我に返った。

駄目だ、このままではいけない。

初めて抱いた想いを一度に受け入れようとすれば、この身が壊れてしまう。

怒涛の勢いで湧き出す恋心に耐えることを知らぬ己は、内側から破裂してしまう。

知らず詰めていた呼気を吐きだして、千影は冷静と現実を訴える警鐘に必死で耳を傾けた。

気付いたばかりの感情に囚われてはならない。

胸裏に渦巻く激情に呑まれてはならない。

すべきことを果たさぬまま、己の心内に浸ってしまえば、千影はもう動くことが出来なくなる。

足を止め、思考を放棄し、目蓋を閉ざしてしまう。

そうして自身を満たす圧倒的な想いの奔流に流され、溺れ行くのだ。

駄目だ、絶対に回避しなければ。

課せられた責務を投げだすような真似は、何が何でもしたくなかった。

高揚した精神を落ちつけるように、少年は幾度も深呼吸を繰り返した。

胸に生じた本音を消滅させることは不可能でも、一時的に心の奥底へ押し込めるくらいは出来る。

例えばそれが逃避行動だとしても、今の千影が対峙すべきは己の新しい心ではなく、眼前にある現実だ。

己の置かれた状況を一つ一つ思い出し、冷静に優先事項を見据えて行く。

今、目の前にあるのは絶好の機会。

ほどこした仕掛けによって、用意は整っている。

それを逃すことは、調査員でもある千影にとって許されることではない。

大丈夫、落ちつけ。

調査員としての役割を忘れるな。

今はただの千影としてではなく、調査員の千影として行動すべきときなのだ。

自己暗示をかけるように声もなく唱える。

頬に描かれた涙の軌跡を拭ったとき、少年の双眸には自覚したばかりの初恋に揺れる心ではなく、有能な調査員としての意志が宿っていた。

ファントムの衣装のポケットから携帯電話を取り出し、素早く操作する。

そうして画面に表示された情報に僅かに目を見張るや、千影は夜の中を駆けだした。

迷いのない足取りは明確な目的地に向けて夜を突き進む。

居た堪れなさに突き動かされて、逃走をしていた先刻とはまるで違う。

外灯の明かりを避けるために煉瓦道を外れ、木々の合間を縫って音もなく疾走した。




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