穂積は「千影」と「光」をイコールで結んではいない。

まったくの別人だと思うように、千影が仕向けた。

だから、穂積と「千影」の関係は、あの夏の日々と今夜だけ。

「光」と過ごした時間の方が、比べるまでもなく多く濃密なはずなのだ。

それなのに、穂積は全身全霊を込めて「千影」を希求した。

他の一切など知らぬような悲痛な音色で、「千影」を渇望していた。

彼の近くにいた「光」ではなく、この世界に存在すらしていなかった「千影」を。

「っ……!」

夏季休暇中に穂積の優しさを受けた「千影」は、羞恥心を抱いた。

穂積にとって「光」が特別なのではなく、誰に対しても彼は優しいのだと突きつけられ、思い上がっていた自分自身を恥じた。

けれど今、この胸を焦がす心火はそのときとはまるで違う。

嫉妬。

千影は、初めて「千影」を憎いと思ったのだ。

溢れだそうとする醜い感情が恐ろしくて、千影は穂積の制止を無視して走り続けた。

「千影」が穂積に捕まるのが嫌で、逃げる足を止めなかった。

嫌だ、嫌だ、「千影」を求めないで。

同じ時間を多く積み重ねたのは「光」なのだ。

お願いだから、頼むから、そんなに必死な叫びを聞かせないでくれ。

じわじわと体中を蝕んで行く仄暗い気持ちを振り払うように、千影は夜の風を切り裂いた。

頬にぶつかる冷えた大気は、しかし更なる混乱をもたらした。

避けては通れぬ疑問が、闇に紛れて千影を襲う。

穂積が求めたのが「光」ならば、納得したのだろうか。

「千影」よりもずっと長く近くに在った「光」を叫ばれたのなら、こんな感情を抱きはしなかったのだろうか。

違う、そうじゃない。

例えば穂積の呼ぶ名が「千影」であっても、「光」であっても、どちらか一方でしかないのなら内側を燃やす焔は噴き上がる。

では、自分は何を望んでいるのだ。

何に嫉妬をしているのだ。

見えない、見えない、自分自身の心の在り処が。

惑い揺れる少年の脳裏にふと浮かんだのは、いくつもの光景。


――僕は彼を「友達」というカテゴリーに入れたくないみたいだ


照れたように笑う綾瀬。


――脈打つ鼓動が速くなったり、どうしようもないほど幸せなのに、少し悲しくて切ない気分になったり


穏やかに諭した歌音。


――自分の秘密を打ち明けたいって思ったやつ、いるか?


真剣に問うた仁志。

身の内を支配していた闇が、弾け飛んだ。

ただの後輩でも、知り合いでも、友達だとしても嫌だ。

目を合わせれば胸が高鳴り、言葉を交わせば幸福を覚え、伸ばされない手に切ない悲しみ。

気付いて欲しい、見つけ出して欲しい、秘密を明かすのではなく暴いて欲しい。

示され続けた想いの形。

多くの人が教えてくれた、大切な感情。

唯一つを語る言葉の数々が、未熟な心を開かせた。

「千影」であろうと「光」であろうと、真実の自分でないなら意味がない。

穂積の声も熱も心もすべて、「千影」ではなく「光」でもなく、自分に欲しい。

自分だけを見て欲しい。

今ここに在る、自分だけを。

千影は誰もいない並木道の真ん中で、唐突に足を止めた。

等間隔で立ち並ぶ外灯が煉瓦畳に影を伸ばし、天空を飾る満月が銀の仮面を照らし出す。

何に隠されることもない素顔の左目から、一滴の透明な涙が零れ落ちた。

震える想いが、静寂に響く。

「俺、会長のこと……好きだ」

穂積 真昼に恋をしていると、千影が気付いた瞬間だった。




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