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双肩を軋ませる無言に耐えられず、千影は足元を見つめたまま唇を動かした。
「会場、戻らなくていいのか」
「あ、あぁ……そうだな」
穂積は思い出したように同意する。
生徒会役員は行事の運営を務めると同時に花形だ。
パーティという場においてもそれは変わらず、生徒会長の不在は問題だろう。
どういったプログラムが組まれているかは知らないが、まだアトラクションが残っているのなら準備だってあるに違いない。
千影のせいで無駄な時間を過ごさせるわけにはいかなかった。
だが、視界に映る革靴は一向に立ち去らない。
意外にも気遣いばかりの男だ。
自分に配慮して動こうにも動けないのかもしれないと思い、千影は別れを切り出すべく顔を上げた。
「あの……」
穂積の視線は、真っ直ぐだった。
僅かにも揺らがず、千影だけを見つめている。
極彩色の煌めきを宿した深い色に囚われてしまいそうだ。
漆黒に呑み込まれる錯覚に浸りながら、千影も目を逸らさずにいた。
否、逸らすことが出来なかった。
絡み合う眼差しは熱を生み、二人の冷えた空気をまったく異なるものへと変質させる。
外界の雑音が失われ、互いの存在だけを意識する。
千影と穂積だけしかいない小さな世界を壊したのは、すぐ近くから届いた第三者の声だった。
「穂積、いるー? そろそろ次のアトラクションの準備だよー」
回廊に響く綾瀬の呼びかけは、姿を消した生徒会長を探していた。
「っ……!」
我に返ったのは、果たしてどちらが先か。
いつの間にか近づいていた距離に目を瞠った穂積は、綾瀬へ返事をするべく通路へと顔を出した。
その隙をついて、千影は今度こそ夜の中へと飛び降りた。
虚空にマントが翻る。
最小限の音と共に着地をした千影は、間を置かずに走り出した。
六月のあの日、三階から飛び降りた少年を、穂積は両手を広げて待っていた。
今はその穂積の手から逃れるために飛んだなんて。
口元に浮かびかけた皮肉びた微笑は、終ぞ現われることはなかった。
「行くなっ、千影!」
背中を刺し貫いた穂積の叫び。
焦燥が色濃く表れた必死の命令は、心の底から千影を求めていた。
呼吸が、とまった。
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