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光に対する怒りとは異なる、仄暗い狂気の気配が男の内から溢れ出す。
ぞわりっと背筋を走り抜けた寒気に、思わず追及が止まった。
相手を追い込むときに、隙を見せてはならない。
調査員としての鉄則の一つが脳裏で響いたときには、すでに手遅れだった。
波立った胸中を表出させた佐原は、ハッと我に返って小さく咳払いをすると、すっかり元の通り厳しい教師の表情に戻ってしまった。
「そんなことより、今はお前だ。自分の立場が分かっているのか?」
「待って下さい、まだ話は終わっていません」
「うるさい!無駄話で誤魔化そうとしたって無駄だ」
「ちがっ――」
「いいか、無事に卒業をしたいなら真面目に授業に出ろ!テストで点数取っていれば文句を言われないと思ったら大間違いだぞっ」
「だから、そうじゃないんだって!」
必死に食らいつくものの、佐原は強引に主導権を自分に引き寄せ、話の流れを変えてしまう。
不自然なほど語気を荒げ、もっともらしい言葉を並べ立てる。
今回は退くしかないと分かっていたが、相手の強硬姿勢につい煽られてしまった。
形だけの敬語が崩れる。
佐原は瞳を見開くや、一気に臨界点を超えた純粋な怒気を破裂させた。
「お前、誰に向かってそんな口のきき方を……!」
「っ……」
勢いよく立ち上がった男の手が、テーブル越しに伸ばされる。
無骨な手指が少年の華奢な腕を捕えようとしたのと、体育教官室の扉がノック音を響かせたのはほぼ同時だった。
緊迫した空間を破壊した来訪の合図に続いて、主の返事を待たずにドアが開かれる。
「失礼します。こちらに……長谷川?」
「野家……?」
現われたのは過去に一度だけ言葉を交わしたことのある生徒だった。
サイドに流した黒い前髪の下には、フルリムの眼鏡をかけた美しい貌がある。
光よりも小柄で線の細い相手は、確か渡井の友人の野家 純と言ったはずだ。
「何の用だ」
実力行使を邪魔された佐原は、さり気なく光から離れつつ恫喝にも似た調子で問いかけた。
野家は驚愕の表情を素早く消して、非礼を詫びるように一礼をしてから、優等生然とした態度で釈明する。
「突然申し訳ありません。こちらに渡井がお邪魔していないかと思って伺いました」
「明……渡井は来ていない。分かったなら教室に――」
「でも長谷川がいてくれて、ちょうどよかった」
さっさと野家を追い払おうとする佐原の弁を、彼は素知らぬふりで遮った。
出来ることなら、このどさくさに紛れて逃げ出したい光は、こちらに向き直った少年の顔にドキリとなる。
場に満ちた不穏な空気とは正反対の、にこやかな笑顔だ。
「長谷川、穂積会長がお前を探していたぞ。急ぎの用があるらしいから、早く行った方がいい」
「え?」
「待たせると後が怖いだろ、穂積会長には誰も逆らえないんだから」
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