調査員としての厳しい表情をした男に、胸中で自己嫌悪の思いがぶわりと膨らむ。

以前までなら、こんなことは言わなかっただろう。

自分の気持ちは脇に置いて調査だけに専念し、木崎の的確な判断に同意を示していたはずだ。

なのに今、それが出来ない。

一体どうしてしまったのか。

調査員である己の、調査員らしからぬ感情、調査員らしからぬ言動。

自分の中に芽生えかけている何かが、先走っているような感覚に恐怖を覚えかけた少年は、それを直視しない内に急いで思考に蓋をした。

考えるべきは須藤の問題なのだから、他に気を回している余裕はない。

そう自分自身に言い聞かせ冷静を取り戻すと、対面の調査員へ目線を戻す。

「俺が須藤に不信感を持たれているのは間違いないけど、入れ違いで近づいて行ったら武文まで警戒されると思うんだ。それに妙な取引を持ちかけて来たってことは、俺との接触を避ける気はないんじゃないかな」
「……だろうな。でなけりゃ、お前にそんなことを言う必要がない」
「危険なのは理解しているけど、上手く情報を引き出されば調査は大きく進展するはずだ」

ハイリスク、ハイリターン。

失敗すれば調査は立ち行かなくなるが、成功したときに得られるものは非常に魅力的だ。

一歩も引かない構えで畳みかけると、相手はやけに深い溜息を吐きだした。

聞きわけのない子供に呆れたのかもしれない。

僅かにビクつきながら彼の返事を待つ。

顔を上げた男は、硬質な眼光で少年をしっかりと見据えた。

「佐原には俺があたる」
「え?」
「俺が危険だと判断したら、すぐに接触は中止。お前の中で警鐘が鳴ったら必ず従う。些細なことでも何かあれば絶対に報告。この三つだけは守れ」

挙げられた条件は、すべてこちらの安全を確保するためだと気付いて、千影は目を瞬く。

せっかく掴んだ売人へ繋がる道は、とても細く頼りない。

一度でも選択を間違えれば、須藤からの収穫はゼロで終わり、売人を逃がす羽目になるかもしれない状況だ。

それでも木崎が懸念しているのは、調査の成否ではなく千影の身だった。

「武文……」
「お前がここまで強く言うのは、初めてだしな」

自分でも制御しきれない、持て余してさえいる感情を、保護者は困った風に笑って聞き入れた。

子供の我儘を愛おしくさえ思っているような瞳の色に、少年は罪悪感と幸福感の混在した複雑な心を、調査への覚悟へと変化させる。

もうミスは出来ない。

木崎から与えられた機会を使って、今度こそあの食えない化学教師に勝ってみせる。

ありがとう、と口にした千影の脳内では、すでに須藤への対抗策が練られ始めていた。

「お前の初めての我儘くらい、叶えてやりたいだろ」

コーヒーを啜る直前に呟かれた男のセリフは、もちろん届いていなかった。




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