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緊張の走る相手に、千影は首を横に振った。
資料室で言われた言葉を、一言一句違わずに口にする。
「君の秘密と交換しましょう――そう言われた」
「……含みのある言い方だな。一概に気付かれたとは言えないが、安心もできない」
木崎はこれみよがしに眉を寄せて、険しい顔つきになった。
隠し事を抱えた人間からすれば、須藤の発言ほど厄介なものはない。
すべてを知っているかのように匂わせて、こちらが引っかかるのを待っているのではないかとも考えられるのだ。
言われた直後に激しく動揺した覚えのある少年は、内心の苦い気持ちを抑え込もうとコーヒーを呷った。
慣れない苦味に舌が刺激される。
「けど、これで須藤も秘密を持っているのが分かった。取引に応じるつもりはないけど、引き続き警戒してみる」
「それは俺がやる。お前はもう須藤に近付くな」
間髪入れずに返されて、やはりと思う。
ターゲットに不審がられてしまえば、同じ人間が調査を続けるのは難しくなる。
警戒されて迂闊には近づけないし、相手の油断やミスも期待できない。
これ以上、こちらの正体に近づかれては困るのだから、木崎に反対する理由はないはずだった。
「武文」
だが、千影は居住まいを正すと、真っ直ぐに相手の瞳と視線を合わせた。
コンタクトで黒となった虹彩に、強い意志が灯る。
「須藤に関しては、もう少し俺に任せて欲しいんだ」
「理由は?」
「ここで退きたくない」
少年は逃げることも誤魔化すこともせず、はっきりと告げた。
自分勝手な言い分だと理解している。
事は千影一人の問題ではなく、ドラッグ調査の成否に関わるのだからプライドなどに構っている場合ではない。
分かっているのに、言わずにはいられなかった。
資料室で伸ばされた手に感じた悪寒。
大浴場で目にした微笑みがもたらした寒気。
つい数日前に耳を嬲った靴音には、怒りが込み上げた。
過去、須藤が見せた教師とは別の顔を前にして、己は成す術もなく打ち負かされて来た。
恐怖心と防衛本能を刺激され、逃げるように彼の前を後にしたり、どうにか踏み込んでみてもいいようにあしらわれるだけ。
己は一度も、須藤に勝てていない。
圧倒的な実力差でもあるかのように、彼の掌で転がされるばかりだ。
ここで退けば、千影はこの先も須藤に勝てない気がする。
「自分が何を言っているのか、解ってるな」
「解ってる……」
我儘を言っていると。
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