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その後の授業については、正直あまり覚えていない。
機械的にノートを取り、条件反射で問題を解いていた少年は、いつの間にか訪れた放課後に驚いたほどだ。
そうして現在、縁に小花柄のついた白い皿の上では、出来たてのシフォンケーキが添えられたバニラアイスを緩く溶かし始めていた。
「あの、出来たけど……」
おずおずと告げた光は、ブレザーを脱いでシャツの袖を捲くった動きやすい格好をしていた。
調理実習室で待っていた前原と井村に出された課題は、メニューに加える予定の抹茶のシフォンケーキの作成だった。
お菓子作りなど数えるほどしかやったことはなかったが、教えられた通りの手順で調理を進める光の手つきは慣れていて、出来上がったそれもまた、非常にレベルの高いものだ。
ストップウォッチで所要時間を計っていた井村が、戸惑う声で告げたタイムに、指導係の前原は首肯を返した。
「うん、そんなもんなら全然いい。長谷川、お菓子作りは初心者って言ってたけど、センスあると思う」
「そうかな」
「一度こっちが手本を見せれば、すぐに出来るだろ?見た目も綺麗だし、あとは味だな」
言って、用意していたフォークを手に取った。
妙に緊張する。
自分の作ったものを、気心が知れているわけでもない相手が食べると言うのは、胃の辺りがズシリと重くなる。
初めて挑戦した料理と言うのも、原因の一つだろう。
まずはケーキだけを、続いてアイスを乗せて口に入れた前原の表情に変化はない。
じっと咀嚼する姿を見つめていると、こくりと嚥下した男が、また一つ頷いた。
「うん、合格」
「え、本当か?」
「美味いよ。今のままでも商品として出せるけど、初心者でこれなら、練習すればもっと良くなるだろうし」
「お、おい!本気なのかよっ」
思わぬ好評価に喜んだのも束の間、井村は複雑な胸中も露わに声を荒げた。
彼の心境に気付いていた少年は、「そうだろうな」と内側だけで息をつく。
これまでの井村の反応を冷静に振り返ると、彼は前原が光を引きこもうとした際、一度として反対しなかった。
仁志の手前と言うのもあっただろうが、予想外の展開に動揺し戸惑っているばかりで、攻撃的なセリフを投げつけるでもない。
本当に光を嫌悪しているのならば、先学期の生徒たちのように拒絶を示せばいいのに。
そうしないのは、何故か。
答えは簡単、彼が光個人を憎んではいないからである。
ただ、分からないだけなのだ。
碌鳴学院の鼻つまみ者、長谷川 光。
穂積に牙を剥いたから、生徒会と親しい関係だから、制裁現場に踏み入られ討ち負かされたから。
不格好な容姿や凡庸な家柄など、生徒たちが反感を抱く要因は様々だ。
しかしながら彼ら全員に、光を拒絶する明確な理由があるわけではない。
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