◇
先ほど目にした光景。
明らかに不審な行動をしていた佐原は、やはり何らかの秘密を抱えているのでは。
そうして須藤は、その秘密を知っているのでは。
思わせぶりな言葉に翻弄されるのは御免とばかりに、光はじっと鬱陶しい前髪の奥から須藤に焦点を合わせ続けた。
緊迫した室内の空気が揺らいだのは、須藤がギッと椅子を軋ませて立ち上がったせいだ。
「長谷川くん、知っていますか?」
静かな声音には、先ほどまでの教師らしい雰囲気など微塵も感じられず、一気に全身が凍りつく。
来た。
過去に二度、体感した正体不明の悪寒の到来に、光は胸の拍動が明確になるのを感じた。
「私の資料室に入った生徒はね、二時間ほど……出て来ないんですよ」
こちらを見つめ、つと微笑んだ男から立ち昇る、艶やかな色香。
艶然とした口元の弧を崩さぬまま、須藤はわざとのように靴音を立てて、距離を詰め始める。
一歩、一歩。
カツン、コツン。
狭い資料室に、逃げ場所はない。
仮にあったとして、やはり金縛りに襲われたが如く硬直した少年に、動くことは出来なかっただろう。
須藤との隙間が縮まるにつれ、圧迫感が増して行く。
未熟な体を押し潰そうやと言う、絶対的な過重は光をその場に縫いつけ拘束する。
指の先まで凍りついて、ピクリとも動けない。
呼吸さえままならず、喉の奥が収縮した。
一歩、また一歩。
カツン、コツン。
異様なほど鼓膜に響く彼の接近が、止まる。
頭上から真っ直ぐに注がれる視線は、無言の攻撃だ。
紡がれる蠱惑的な台詞はただの虚飾でしかなく、齎される危機感の原因はその眼に由る。
纏ったシャツ、その下の皮膚、筋肉に覆われた骨、全身に走る血管。
器の中いっぱいに詰まった、曖昧で抽象的で確実な、存在そのものを見つめる二つの輝き。
少年の秘めたる何かを、探り暴こうとする容赦のない追及に、警報が激しい明滅を繰り返す。
己さえも知らない己が、彼の前に引きずり出される―――
「ふっ……そんな絶望的な顔をしないで下さい」
「ぁ……」
「教師の言うことは、聞くものだよ」
間近に迫った男が破顔した。
- 568 -
[*←] | [→#]
[back][bkm]