「尾行ごっことは、随分と品のない遊びですね」

微かな音を立てて閉まった扉を、冷たい汗の伝う背筋で感じる。

通された部屋は以前にも足を踏み入れたことのある、化学資料室だった。

あのときは棚の影に隠れて気付かなかったけれど、まさか内部で繋がっているとは露ほどにも思わなかった。

光は狭い資料室の中で、出来る限り相手と距離を取ったまま、慎重に口を開いた。

「先生は、ここで何をされていたんですか?」
「課題の採点ですよ。明後日の授業のときに返却予定ですから、楽しみにしていて下さいね」

ふふっと意味深長な笑みを形作る男の弁に、怪しむべき箇所はない。

彼の言う通り、簡素な長テーブルには数日前に提出したプリントが積まれており、たった今まで仕事をしていたかのように、赤ペンのキャップが外されたまま転がっている。

引かれたままの椅子に、須藤は自然な動作で腰をかけた。

切り込むような双眸が、こちらを映す。

「長谷川くんは?どうして佐原先生を尾行なんてしていたんだい」
「……」

当然の質問に、返す台詞もない。

体育教師の後をつけて、声をかけるでもなく身を隠し様子を窺っていたのだ。

尾行していたことさえ、否定出来ない立場にある。

優秀な思考回路を高速回転させようが、こればかりは上手い言い訳も出て来なかった。

せめてもの無表情で黙秘を続ける少年に、須藤はこれみよがしな嘆息をした。

「私が言った言葉を、覚えていますか?」

呆れ交じりの問いかけ。

現状を考慮すれば、いつのことを言っているのかはすぐに分かる。

声は出さずに首を縦に振る。

「佐原には気をつけなさい――そう、言ったね?」

約一か月前、珍しくも寝坊をしてしまった光は、意図せず佐原の授業をサボってしまい、それを咎められていたところを彼に助け出されたのだ。

別れ際に囁かれたフレーズを、忘れられるはずがあろうか。

あの当時、光が警戒をしていたのは須藤だと言うのに、その警戒対象から注意を促されたのだから、意識の中枢にしっかりと根付いてしまった。

「なぜ、ですか?」

長い前髪に阻まれて、相手に見えているかは分からないが、少年は挑むような視線で須藤を射抜いた。

佐原 裕也という男は、生徒たちからの人気が高い若手教員だ。

兄貴分のように気さくな雰囲気が好評で、相談を持ちかけられることも多いと聞く。

悪い噂などは一切ない佐原に対して、大多数の人間は好感を持ちはしても警戒などしない。

光個人としては、佐原に目を付けられていてうんざりしているのだが、それも元はと言えば授業をサボったのが原因。

少々強引な振る舞いではあったが、須藤が仲裁に入った現場において、佐原の怒りは同じ教員という立場にある者からすれば、正当なものと判断出来るのではないか。

それなのに、なぜ。

なぜ須藤は、光に「気をつけろ」と耳打ちしたのだ。




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