交換条件。




全身から立ち昇る湿布臭さに包まれながら、光は保健室を後にした。

不格好な形のタルトは、すべて木崎と自分の胃袋の中だ。

満ち足りたのは腹だけではなくて、一歩を踏み出すごとにビリビリと走る痛覚も気にならないほど、あたたかい感情が制服の下に灯っている。

己以外の足音はない本校舎の廊下を、昇降口に向かって進む少年の面は、ともすれば緩んでしまいそうな危険があった。

その常よりもぐっと無防備な表情が、一気に引き締められたのは、エントランスホールのエレベーターが呑み込んだ人物を認識したからだ。

「佐原?」

すでに上昇した箱の中にいるであろう男の名を、疑念混じりに呟く。

一瞬だけ目に入ったシルエットは、間違いなく碌鳴学院の体育科教諭だ。

幾度が授業をサボった光を目の敵にして、顔を合わせる度に絡んでくるから迷惑極まりない。

エレベーターに駆け寄ると、オレンジの光りが四階で点灯していた。

光は訝しげな顔で4の数字を暫時眺めたあと、そのまま身を翻して階段を上り始めた。

今度は音を立てずに足を動かす。

休日に教師が校舎を訪れることは、決して不思議ではない。

彼らには生徒たちが考えるよりも、ずっと多くの仕事が課せられており、休みを返上して取り組む場合もある。

それは体育教師にしても同様で、佐原が校舎にいたとしても、不審がる必要などどこにもないはずなのだが。

四階というのが、光の中で引っ掛かった。

職員室があるのは、本校舎の二階。

佐原が多くの時間を過ごすであろう体育教官室は、体育館のすぐ隣だ。

四階の本校舎には大講堂に続く扉と、常時無人の学院長室があるばかりだし、東西の棟に流れたとして各教科の資料室が並ぶだけである。

そんなフロアに、一体何の用があると言うのだろうか。

筋肉痛を堪えて目的の階に到達した少年は、静けさの漂う空間で耳を澄ませた。

鼓膜に触れた靴音。

ぼわんと反響がかかっているけれど、どちらから聞こえているかは分かる。

捉えた。

光は迷わず西棟へと爪先を向けた。

警戒レベルを最上値まで引き上げ、呼吸さえ潜めて素早く廊下を進む。

扉の開閉音が聞こえないのを怪訝に思いながら、次第に大きくなる他人の奏でる音を追いかける。

本校舎から西棟に移る曲がり角を最後に、廊下は直線一本だ。

振り返られればまず間違いなく気付かれる。

そっと角から様子を窺うと、案の定、佐原の後ろ姿が飛び込んで来た。

さらなる追跡をしたいところだが、ここからはどうしたものか。

迂闊に出て行くわけにもいかず考えを廻らせる少年は、ふと開かれたままの扉を見つけた。




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