グラウンドに滑り込んだ光は、すでにトラックを走る生徒たちの姿に、乱れる息を呑みこんだ。

応援席では自分の学年の走者を励ます歓声が上がっており、体育祭最後の競技である2000メートルリレーが始まっていることが分かる。

やはり間に合わなかったのだろうか。

テニスの試合を最後まで観戦する程度の余裕はあったが、その後自らが試合をこなすことになろうとは、予想もしていなかった。

長引くわけはないと、高をくくっていたのが間違い。

仁志が本気を出さなかった上に、いつしか光もリレーの存在を忘れて真剣にプレーをしたために、想定していたよりも遥かに時間がかかってしまった。

悪ふざけでクラス全体に迷惑をかけてしまうなんて。

吐きだそうとした溜息が、口の中で消えたのは、眼前で全力疾走をしている生徒が第一走者であると気付いたからだ。

まだ間に合う。

思うや、光はトラックの内側で出番を待つ生徒たちの中へと入って行った。

「長谷川っ!」
「ごめん、遅くなって」

名前を呼んだ相手の名前は知らないものの、クラスメイトであるのは記憶している。

ひょろりと細身ながら上背のある相手は、碌鳴学院生らしく整った面立ちをしていて、チョコレートのような髪色が特徴的だ。

すでに第三走者がスタンバイしている点から推察すると、彼はアンカーだろう。

きつく眇められた眼に素直に頭を下げると、彼はぎょっと怯んだ。

「い、いいから、さっさと並べよ。代わりのヤツには俺から言っておくから」
「ありがとう。そうしてもらえると助かる」

中々現われぬ光に焦れて、代走まで見つけていたらしい。

申し訳なさからもう一度「ごめん」と謝ると、アンカーの生徒に追い払うように背中を押された。

促されるままに踏み出せば、第四走者のスタンバイが始まっている。

慌てて光も加わると、どうやら第三走者は遅れているらしく、一番外側のレーンに誘導されてしまった。

視界に捉えたランナーは、遠目から見ても顔色が優れない。

体調が思わしくないだろうに、それでも必死に他の面々に食らいついて、大幅に差を空けられてはいなかった。

次々と隣りの生徒たちがバトンを受け取り走り出す。

光は軽くリードをしつつ、指先に硬質な感触が触れた瞬間、力強く大地を蹴った。

風が切れる。

完璧なフォームで疾走する少年は、体にぶつかる大気の抵抗を裂き、空気と空気の間に見つけた秘密の一本道を進むが如く、ぐんぐんとスピードを上げる。

一人目、二人目を抜く。

テニスの試合を終えてから、グラウンドにすぐさま飛んで来た。

常人よりは優れた体力も、短時間にこれだけの運動をこなしたのだから、底が尽きかけている。

だが、最初から最後までトップスピードを維持しなければ、第三走者の遅れは挽回できない。

一人に課せられた距離は400メートル。

息苦しさを感じながらも、絶対に速度を緩めるつもりはなかった。

三人目、四人目を抜いたところで、周囲から上がった驚愕の歓声など光の耳に届くわけがあろうか。

「なにアイツ!?」
「転校生だよなっ、あれ」
「おい!もう走ってるぞ、長谷川!!」
「ゴミのこと応援なんてしてんのっ!?」
「お前知らねぇの?あいつさっきまでテニスコートで――」

走る。

喉が干上がる。

走る。

肺が捩れる。

走る。

ぎゅっと狭まった視界に、チョコレート色の髪が映し出された。

バトンを、渡す。

「すげぇ長谷川!!」
「え、仁志様と試合してたの?!」
「まぐれだろ、まぐれ」
「あいつさ、確か一学期の期末で一位じゃなかったか?」

間断なく上下する肩とふらつく足で、少年は確かにリレーを最後まで見届けたのだけれど。

酸素の不足した脳には、現実を取り込むゆとりなどどこにもなくて。

意識が覚醒するのは、甘い色の髪がゴールテープを切って暫く経ってからのことだった。




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