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この一件によって、転校生は生徒会書記の友人というだけでなく、彼に匹敵する能力を有した存在として、生徒たちは認識を書き換えるだろう。
周囲からの反発が減少傾向にある状況で、さらにそんなアピールをしたのは、光の立場向上を促進させるためだと理解できるが、ここまで大々的な演出をするほどでもないと思う。
光は現状で満足していたのだし、むしろ生徒たちからの注目を集めるような方法は、遠慮願いたいところである。
学院生たちの日常に埋没して行く形での反発減少ならば兎も角、これではまったくの逆だ。
今まで以上に生徒たちの耳目を集めるのは、必至だった。
調査が難航しているとは言え、己の本来の立場を鑑みれば、あまり歓迎できない事態だと暗に告げる。
スポーツタオルを頭から被った男は、自分のペットボトルを光に放ると、意味深長な笑みを覗かせた。
「お前くらい実力あるヤツが、集団に埋もれている方が異常なんだよ。ちょっとくらいは力に見合った認識を持たれろ」
「……俺が何でここにいるのか、忘れてるだろ」
どこかの俺様を思わせる自分勝手な言い草に、肉体の疲労と合わさってどんより重い息が出た。
衰える気配のないテニスコートの騒々しさを収めたのは、スピーカーから流れた穂積の声だった。
『おめでとう。見事、特別試合を勝利した仁志 秋吉くんの所属学年、二年には追加50ポイントを加算する』
再び湧き上がる観衆とは対照的に、仁志は穂積の「くん」付けに二の腕を擦る。
光との対戦よりも、よほどこちらの方が仁志へのお灸になるようだ。
鳥肌を立てる友人を少々同情的な気分で見ていたところで、ふと引っ掛かりを覚えた。
何かを忘れている気がする。
とても重要な何か。
『尚、綾瀬副会長からのキスは、本人との交渉で自力で勝ち取ってもらいたい』
「やっぱりかよ……」
言いながらも、金髪頭はがっくりと項垂れる。
大方の予想はついていても、万が一を夢見てしまったようだ。
忘れていたのは、このことだろうか。
試合に没頭するあまり、綾瀬の唇が懸かっていたことなどすっかり失念していたが、何やら違う気がする。
自分は何を忘れている。
頭を捻って考え込む少年は、続けて生徒会長が口にしたセリフに叫びそうになった。
『長谷川くん、リレー選手の集合時間は過ぎている。間もなくスタート時間だぞ』
「っ!!」
『試合の直後で厳しいとは思うが、君が勝利へ貢献すると大いに期待している』
放送席に目を飛ばせば、きらきらと輝く作り笑いの穂積が、早く行けと手で合図をしていた。
他にやりようがないのだろうが、犬を追い払う仕草に複雑な気分だ。
しかしながら、今は文句を言っている暇などない。
「悪い、仁志。俺もう行くな」
「つーか、マジで時間ねぇぞ!頑張って来いよ」
コート内の時計を仰いでぎょっとなると、仁志は軽く背中を叩いてくれた。
後押しを受け、光は疲労の蓄積された体で走り出す。
トラックの敷かれたグラウンドを目指す後ろ姿は、しゃっきりと伸びていて、テニスの試合をこなしたばかりだとは到底思えない。
慌ただしく走り去った転校生を、ポカンッと見送るギャラリーに、放送席の男は言った。
『初心者にも関わらず、仁志くんと素晴らしい試合を見せてくれた長谷川くんは、グラウンドにて行われるリレーの第四走者だ』
仁志は「やり過ぎだろう」と思いつつも、ガタンッと派手な音を立ててベンチから立ち上がった。
『彼がどのような走りをするのか。興味を持った者は、グラウンドにてその結果を確かめるといい』
荷物はそのままに、タオルと携帯電話だけを持ってコートを出て行く仁志に釣られたように、生徒たちが一斉に動き出すのは次の時だった。
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