体育祭開幕。
力強く大地を蹴りつける四本の足は、なめらかな輪郭を描く引き絞られた体躯を軽やかに宙へと飛ばし、目前に迫った障害を危なげなく攻略してしまった。
最後の障害物をクリアした白馬は、手綱を握る主の意を受けたかのように、ゴールまでの直線ラインを風のように駆け抜ける。
ミス一つない完璧な疾走に、ギャラリーを始め審査員席に座る乗馬部の顧問までもが拍手喝采だ。
馬場の柵の外からその様子を凝視していた光は、今しがた自分の眼が捉えた情景が白昼夢ではないかと疑いかけて、こちらへと歩いて来る男の姿に現実だったかと驚きを深めた。
「長谷川」
「こんにちは、逸見先輩。すごかったですね」
濃紺のライディングジャケットを纏った会計方筆頭は、小脇にチンストラップ付きのヘルメットを抱えている。
白いネクタイに白いボトムという、品のある爽やかな出で立ちは、障害飛越の乗馬騎手が着用する衣装だ。
ぎこちない笑みで挨拶をした少年に、眼前までやって来た男は、こちらとは異なる見目良い眼鏡顔を面白そうに緩めた。
「そんなに意外だったか?俺が乗馬に出場しているのが」
「え、や、そんなことはないですよ」
「あぁ、そうだろうな。顔が引きつっているのも、語尾が力ないのも俺の気のせいだろう」
「……」
これ見よがしな皮肉と共に、口端を釣り上げられてがっくりと項垂れる。
歌音がいないときに逸見と遭遇したのは初めてだが、初対面での意図的な威圧や仁志いじりに興じる様子から、捻くれた性格の持ち主であることには薄々感づいていた。
一対一では勝てる気がしない。
窘め役の歌音がいない今、下手に言い繕っては遊ばれるだけだと判断し、光は早々と白旗を振った。
「すいません、本当はかなり驚いてます。逸見先輩と乗馬が結びつかなかったので。得意なんですね」
「得意というほどでもない。ただ教養の一つとして習得しているだけだ」
教養の一つに乗馬が入るとは、まるでどこぞの貴族だ。
平然と言われて、彼もまた上流階級に属する人間なのだと実感する。
碌鳴生たちにとって待ちに待った体育祭は、一時間ほど前の開会式によって幕を開けた。
所有する広大な敷地を利用して、いくつもの競技が同時進行で行われており、生徒たちは好きな種目を自由に観戦しに行く。
人気生徒が出場する競技はギャラリーの数が多いため、生徒会役員などは生徒分散を狙って同じ競技には出ないよう調整をしているのだと仁志に聞いた。
その仁志が出場するテニスの試合が、もう間もなく始まるということで、テニスコートへと向かっていた光だったのだが、たまたま通りがかった馬場で逸見の活躍する姿を見つけ思わず目を奪われたという次第である。
「で、お前は何に出場するんだ?」
「2000メートルリレーです」
「なるほど、いい選択だな」
「え?」
意外な反応に、思わず疑問符が漏れる。
光がリレーへの出場を希望したときの、クラスメイトたちの反応とは正反対だ。
今の彼の発言は、光の脚力を認知しているようで首を傾げた。
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