死角。
「気持ち悪い」
ざぁざぁと派手な音を立てて降り注ぐ雨に、濃いグレーに覆われた空。
稲光でも瞬きそうな天気とは裏腹に、傍らの友人の機嫌は晴れ晴れとしていた。
黒い傘の下にある緩みっぱなしの頬と、水溜りを軽やかに避ける浮かれ気味の足取り。
明らかに何かしらあった様子だが、理由を訊ねるよりも先に感想が口をついた。
薄気味悪げに窺い見るも、相手はさして気分を害した風でもなく、全身から幸せオーラを振りまいて光と目を合わせた。
「何か言ったか、光」
「気持ち悪いって言った」
「はっ、好きに言ってろ。今日の俺は機嫌がいいからな、聞き流してやる」
「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪……なんだよ」
「調子こいてんじゃねぇぞコラっ」
胸倉をつかみ上げた男に白けた目を向ければ、こめかみの血管を浮き上がらせて怒りを堪えている。
自分の発言には責任を持ってもらいたいところだ。
やれやれと嘆息一つで、光は相手の手を押しのけた。
「本当のことを言われたからって怒るなよ」
「俺のどこがキモイっつーんだ。目ぇ腐ってんだろ!?いいか、俺みたいのは美――」
「形だろ。毎回自分で言う仁志はすごいと思う」
後を引き継げるようになった自分に、乾いた笑いが漏れる。
確かに反論のしようもないのだし、こうも決まり文句のように言われ続けてしまえば、今更つっこむ気など起きない。
喧嘩腰から一変、金髪男は満足そうな顔でやはり表情筋を緩めていた。
「で、何かあった?」
「あぁ?なんでだよ」
「なんでって……」
気付かれないとでも思ったのだろうか。
仁志の異変など、一目瞭然。
明らかに上機嫌な彼の姿に、登校中の生徒たちが珍しいものを見たと、騒ぎ立てる声が聞こえないのか。
おまけに、久方ぶりに一緒に登校している。
いくら以前ほど忙しくなくなったとは言え、まだまだ行事関連の仕事が詰まっているらしく、交流会後も相変わらず朝から碌鳴館に直行していて、共に校舎への道を歩くなどいつ以来だろう。
わざわざ部屋に迎えに来たのだから、それ相応の理由がないはずがない。
何かしらあった仁志が、それを報告したがっていることを、光は察していたのだった。
「聞いて欲しくないなら、聞かないけど」
「……誰もんなこと言ってねぇだろ」
次の彼の発言は、ばちばちと傘の上で跳ねる雨音に、紛れてしまいそうなほど小さかった。
「え?」
断片的に捉えたワードに、聞き返す。
「ごめん、聞こえなかった。もう一回」
「だからっ」
もどかしげに言った後、再び仁志の唇が動く。
今度こそ、光の耳はそれを正確に聞き取った。
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