告げた想い、秘めた想い。




SIDE:仁志

仁志の人生において、大凡目立った挫折はなかった。

名家の一人息子として生を受けた彼は、家柄はもちろん、類稀なる端正な容姿と卓越した能力から、降りかかる困難を容易に退け、着実に大理石の階段を上って来た。

難関とされる碌鳴学院の幼稚舎に学年最高得点で入学し、以降の試験では毎回上位五名以内にその名を連ねる優秀な学力。

趣味で始めたテニスでは、非公式ながらプロ選手と接戦を繰り広げた挙句、数多くのスカウトを断った。

生来からの明るい性格と、人を惹きつける内面からの魅力により、年齢を問わず彼を慕う者は多い。

今では上流階級の子息が集まる碌鳴学院の、運営組織の一員にまで上り詰めた。

勿論、現在に至るまでの行程は、第三者から見れば非常に険しい道のりではあるのだけれど、仁志本人が苦であると感じたことは一度としてない。

自ら望んで取り組んだ結果、人が羨む成果を手にしているに過ぎず、すべてのことを心から楽しみ真剣に向き合っただけのこと。

そんな「勝者」と呼ぶに相応しい彼に、「敗北」の二文字を突きつけたのは、一つだけ年上の男であった。

己より優れた人間がいることは、百も承知。

穂積や歌音、逸見と言った身近な面々だけでなく、仁志がこれまで出会った多くの人間には、学ぶべき場所がいくつもあって、彼らと自分の実力には大きな開きがあると理解している。

けれど、「負けた」と感じることはなかった。

どれだけ圧倒的な実力を目の当たりにしても、それは経験や知識量によって生まれるべくして生まれた差であり、決して「敗北」であるとは思わなかった。

けれど、彼は違った。

彼だけは違った。

出会った瞬間、仁志は思ったのだ。

この人には勝てない、と。

綾瀬 滸に己が勝てる日は、永遠に訪れないのだと、本能的に悟ったのである。

「――くん、仁志くん?」
「あ……」
「どうしたの?ぼんやりして」

日ごとに早くなる夕暮れに、辺りはすっかり群青色で、林立する外灯の柔らかな灯りが温かい。

ブレザーのボタンを開けたままでは、少しばかり寒い大気を、静かな煉瓦道に響く靴音が小さく揺らす。

傍らを歩く先輩の窺うような瞳に気がついて、仁志は物思いに耽っていた自分に舌打ちをしかけた。

「すいません」
「ううん。シノちゃんたちのお陰で少しは楽になったけど、やっぱり忙しいことには変わりないからね。疲れもするよ」

仕事から来る疲労と解釈した綾瀬は、眉尻を下げてやんわりと微笑みを浮かべた。

真実とは異なっていたけれど、訂正はせずに話を合わせる。

「俺より、会長の方がキてるんじゃないですか。信じらんない量じゃないですか、あの人の仕事」
「ちょっと心配だよね。あれ、学院とは別のも入っているみたいだし。ワーカホリックじゃなきゃ、当の昔に投げ出してるよ」




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