あれほど感情を露にした彼を、仁志は見たことがない。

二人の間にだけ存在する、特別な絆のようなものさえ感じられて、戸惑うばかりだ。

小鳥と共に光が連れ去られたあの夜から、忘れようと努力を続けていた一つのビジョンが脳裏を掠める。

時は八月上旬。

サマーキャンプ中に霜月の手に落ちた転校生を、毎度のことながら救出に向かったら、思いがけない展開が待っていた。

光と穂積のキスシーンだ。

乱れた浴衣姿の光を圧するように、傍目にも明らかな深い交わり。

己の登場ですぐに彼らは離れたけれど、しっかりばっちり仁志の怜悧な眼は見てしまった。

記憶してしまった。

他に目撃者のないその一件を、誰に言うことなく胸の内に秘めて来たが、あれから彼らの関係には特別な変化もなくて、どういうことだと疑問を抱き続けていた。

恋人関係になった、とか言うならばここまで悩みはしない。

むしろ、甘い空気の片鱗すら見られないからこそ、意味不明とばかりに頭を抱えてしまう。

「両想いなのか?ならなんでいつも通りなんだ?じゃ、片思いか?いや、あの人が片思いとか似合わねぇし気色悪ぃ……」

心の声を口に出していると気付かぬまま、ぶつぶつと独り言を零せば、対面から嘆息が流れてきた。

「ま、人様の恋愛事情なんだ。お前に直接的な関係があるわけじゃないんだろ。ほっとけ、馬に蹴られるぞ」
「まったく関係ないってわけでも……」

反論しかけて我に返る。

しまった。

誰に向かって誰の話をしているのか、己の思考に夢中ですっかり抜け落ちていた。

木崎にしてみれば、自分の溺愛する少年の恋愛話。

ぎりぎり固有名詞を出すことはなかったものの、話していいものかと躊躇っていた先刻を大きく裏切ってしまった。

中途半端に言葉を途切れさせたこちらに、大人の探るような目線が注がれる。

居た堪れなさから眼球をきょろきょろと泳がせた。

「……お前、嘘つけないよな」
「あぁ?」

ぼそりと呟かれたセリフを聞き取れず片眉を持ち上げるも、木崎は「なんでもない」と首を竦めるだけだった。

「友達のことより、お前はどうなんだ?」
「俺?」
「人のことばっか気にしてると、逃げられるぞ」
「……」

含みのある言い方だが、まったくの的外れでもない。

確かに仁志には、他人の恋路に首を突っ込んでいる余裕などありはしなかった。

もう一度窓の外へと目を投げる。

保健室から見える校舎脇の並木道では、林立する樹木の暖かな欠片が、次から次へと虚空を踊っている。

屋外は首元が涼しい気温で、不思議とセンチメンタルな気分になる季節だ。

残された時間が止まることなく削られていることなど、以前から分かっていたと言うのに、ここに来て喉元が苦くなるのは、一重に秋というシーズンのせいだろうか。

執行猶予の期間は十分にあった。

腹をくくると覚悟も決めた。

日々の慌しさやドラッグの問題を理由に先延ばしにして来たけれど、曖昧なままにして終わりを迎えるのは御免だ。

いよいよ決着を着けるときが来たのかと、感慨深い気持ちになったところで、唐突に気がついた。

尊大な態度で長い脚を組んでいる白衣の男を、仁志は勢いよく見やった。

「なんでてめぇが知ってんだよ」
「キレやすいな、最近のガキは」
「っざけんなおっさん!で、なんで分かったんだよっ」

仁志が絶賛片思い中であることを。

気不味さの混じった焦燥を、敵意にも似た眼光で誤魔化した生徒会書記に、調査員の男は緩い笑みを与えた。

「そんな目ぇしてりゃ、誰だって分かる。恋の秋ってな」




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