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壊れ物でも扱うように、骨張った大きな手がそうっと制服の袖を捲くり上げ、指跡のついた手首に湿布を張り付ける。
ツンと鼻に来る独特の匂い。
思いがけない展開に、しばし思考が止まった。
彼が自ら手当てをしてくれるなんて、予想もしていない出来ごとだ。
我に返ったのは、絆創膏での補強が終わってから。
口元に迫った消毒液を染み込ませたガーゼに、ふいと顔を背ける。
「いい」
「……」
「自分でやるから」
視線を合わせぬまま告げるも、穂積の手は一向に退かない。
切れて血の滲む口角に、じゅわりと染みる痛みが神経を爪弾く。
「いいって言ってるだろっ、ちゃんと自分で――」
「嫌か」
「え……」
「俺に触れられるのは、嫌か」
彼は、何を言っているのだろう。
こちらの抗議を遮った呟きは、まるで意図が読めない。
何より、問いかける男の声に込められた切なさが、光の眼を見開かせた。
素顔を晒す危険も忘れ、つい彼の端正な貌を正面から凝視すれば、からかう気配もなく真摯な態度の穂積がそこにいる。
必死ささえ漂う双眸に、懇願されているような錯覚に陥って、吸い込んだ酸素が胸の辺りで詰まってしまった。
微妙な息苦しさは、光の頭から大事なものを奪って行く。
現実や、建前や、立場や、見栄や。
とても大事で、この場では瑣末なもの。
一度外れたばかりのタガは、緩んでいたのかもしれない。
ふつふつと昂ぶる心臓の奥が、堰き止められた吐息を押し退け流れ出た。
「……嫌じゃ、ない」
シンッと静まった夜の中、己の膝上へと落ちた否定の言葉は、対面の男への返答だ。
光の頤に触れていた相手の指が、電流でも走ったかのようにビクリと反応して引っ込められる。
その指先を追うかの如く、少年は身内の想いを音にする。
「嫌じゃないから……嫌なんだ」
嫌ではない。
嫌なわけがない。
救いを乞うたのは誰だと思っている。
分からないのか。
光は穂積に助けてもらいたかったのだ。
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