◇
あれほど周囲の目がある場所での事件だ。
何もせずとも広まったとは思うが、浸透するまでの時間を短くすれば、それだけ光に訪れる苦しみは早くなるということ。
午後の授業を、あの不恰好な転校生がどのようにして乗り切るのか。
穂積は薄く唇を歪めた。
「え。つまり、そのお醤油って長谷川くんにかけられたの?すごいなぁ……じゃなくって、穂積なにしたの?」
「何故、俺なんだ」
「理由もなくお醤油をかける人が、どこの世界にいますか。どうせ、穂積が何か怒らせるようなこと言ったんでしょ?」
「思ったことを口にして、何が悪い」
諌めるような台詞を、男は嘲笑を交えて一蹴した。
が、部屋に響いた穏やかな音色に、苦虫を噛み潰したような表情になる。
「初対面でゴミ扱いは、いけないと思うけど?」
「歌音か……」
生徒会室の扉をそっと開けたのは、小柄な生徒だった。
癖のあるオレンジに染めた髪の下には、真っ白な肌。
大きな瞳が印象的なハーフの少年は、まるで元気な天使のようだ。
しかし、彼の口調は外見とは真逆に、大人びた落ち着きを持っていた。
「すごい騒ぎだったみたいだね。仁志くんと殴り合いしたって聞いたよ」
「俺は手を出してない。向こうが勝手にキレただけだ」
「友達を侮辱されたら、誰だって怒るよ。穂積くんもそうでしょう?」
「……」
口を噤む穂積に、歌音・アダムスは困ったように眉を下げてみせる。
それはまるで、聞き分けのない弟を見るようなもの。
外見的には明らかに歌音が弟なのだが、精神面では別のようだ。
「ゴミ扱い……。穂積、君あたったんでしょ?」
綾瀬はピンときたのか、責める口調だ。
あぁ、居心地が悪くなってきた。
穂積は面倒臭い事態に、内心だけで舌を打つ。
「本家から電話もらって、すごい不機嫌になってたもんね。いつも根性最悪だけど、今日のはさらに酷かっ……」
「綾瀬くん、また言い過ぎてるよ」
「あっ……今のなし」
歌音は狼狽する綾瀬に微笑んだあと、面白くなさそうな穂積に向き直る。
「何にせよ、仁志くんには謝っておいた方がいい。本当なら長谷川くんにもだけど……」
「あり得ないな」
「だよねー。穂積が潰す宣言しちゃったくらいだし」
鋭い眼光が飛んでくる前に、綾瀬はさっと会長席に背を向けた。
つい心の声を音にしてしまう自分の悪癖を、自覚していても中々直すのは難しい。
しかし、彼の耳に入ったのは予想とは違い、どこか楽しそうな声。
「長谷川が方法を考えろ、と言って来たんだ。俺はそれに応えてやらなきゃ、いけないだろ」
「穂積くん……」
「ちょうどいいイベントが迫っていることだしな。……楽しませてもらう」
卓越した美貌に不敵な笑みを乗せた男の双眸は、デスクに散らばった行事企画書を捉えていた。
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