腹筋だけで身を起こすと、仁志は光に背を向けたまま身支度を整える。

「待つって言ったくせに、焦っちまった。俺、風呂行ってくるわ」
「に、し……」

頼りない呼びかけは、扉の閉まる音に紛れて消える。

一人きりの空間を認識したのは、数秒の後だった。

「あー、もう何やってんだよ、俺」

己の不甲斐なさに泣けてくる。

頭を抱えれば、出発前に与えられた保護者の台詞が蘇った。

校医である武は、修学旅行に参加していない。

付き添いは医師と看護師が一名ずつで、留守番をすると言う。

それでも朝早くから学院を出る生徒たちの見送りと称して、彼は光の元へやって来た。

先日の下らない質問を、ぶり返されるのではないかと密かに疑いつつ、気のない様子で言葉を交わした。

なんだよ、と短く言えば、武も短く返してくれた。


――お前の好きにすればいいって、前に言っただろ


囁いて、すぐに脇を通り過ぎて行った。

白衣を纏った色男に、生徒たちは嬉しそうに駆け寄って行く。

光は。

彼の言わんとする意味を正確に理解して、振り返らないようにするのが精一杯だった。

思い悩んでいたとき、木崎からもらった温かい掌。

今回と同じ、優しい言葉。

好きにしていいと、その結果どうなろうと受け入れてやると。

だから、仁志に話しても構わないよと言ってくれた保護者。

なんて優しくて、甘いのだろう。

「許可だってもらったのに……。情けない」

振り返ったせいで、余計に今の自分の体たらくを自覚した。

少年が顔を上げたのは、テーブルに置いた湯飲みの湯気が消える頃になってからだった。

初めて仁志から受けた催促。

光がそれに応えない理由はない。

仁志が部屋に戻ってきたら、必ず話すと決めて、光は冷静になろうと部屋のバスルームに足を向けた。

部屋風呂の他に、このホテルにはいくつかの大浴場がある。

同室者が行ったのはそれらのどこかだ。

生徒会役員の彼が不用意に行くのは危ない気がするのだが、彼曰く大浴場を利用する生徒など皆無に近いらしい。

温泉ならば各個室の風呂にも通っているし、好意を寄せる相手以外に裸体を晒すのは抵抗があるのだという。

まったく、どこの乙女だ。

身体的に自信がないと悪評も立ちかねないとも言っていたが、良家の子息のくせに下世話なことだと呆れてしまった。




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