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弾かれたように顔を上げた光は、背後から進み出た須藤の背中に目を丸くした。
なぜ、須藤がここに?
「長谷川くんが、何か問題でも」
「須藤先生……えぇ、まぁ少し」
須藤の登場に、佐原はぱっと光の手を解放した。
光の位置では担任がどんな顔をしているのかは伺えないが、佐原は明らかに頬を強張らせている。
「私の授業を二度もサボった上に、これからまたサボろうとしていたので、少し注意をしていたんですよ」
「そうなんですか?おかしいですねぇ、私の方に今朝連絡があったんですよ。「体調不良だから遅刻する」と。そうですよね、長谷川くん」
「あ、はい」
まさかのフォローに動揺しつつも、傍目からは気付かれぬ風に首肯する。
「ですが、教室に行かず本校舎にいたんですよ?」
鞄を示され、須藤がこちらを振り返った。
「どうしたんですか、長谷川くん」
「保健室で薬を貰ってから、教室に行こうとしただけです」
「なるほど。と、いうことみたいですよ、佐原先生」
「……その生徒の言い分を信じるんですか」
再び佐原へと向き直った須藤は、不思議そうに首を傾げた。
「おかしなことを仰るんですね。ここには私たち三人しかいないと言うのに、他の誰の言葉を信じるんですか?体調が悪いのは、長谷川くんですよ」
余裕を持った声音に、体育教師は苦虫を噛み潰したような顔になった。
爽やかな顔が台無しだ。
彼が何事かを言う前に、須藤は素早く口を開いた。
「佐原先生は次の時間、授業がおありでしょう。準備にお忙しいでしょうから、こちらはご心配なく。今日の授業に出席できなかった件については、体調不良故の欠席です。私の方からご連絡するべきでしたね、すいません」
「いえ……」
「では、私は彼を保健室まで連れて行きますので。これで。行きますよ、長谷川くん」
悪あがきをされる前に、光は須藤に従って歩き出した。
突き刺さる佐原の視線は、どちらかと言えば須藤に向けられている。
やがてそれもなくなったところで、ぴたりと前を行く男が立ち止まった。
「さて、もういいですね」
「はい、すいません。助かりました」
振り向いた担任に頭を下げつつ、内心で複雑な思いを抱く。
怪しい噂のある彼を、調査対象に決めたのはつい先日のことだ。
ターゲットに助けて貰うとは、情けなくもあるし、素直に受け取れもしない。
今日はあの悪寒も襲って来なくて、窺うように見上げた。
「それで、遅刻の理由は本当に風邪気味なんですか?」
「はい」
「分かりました。次からは職員室に連絡を入れてください。保健室には一人で行けるでしょう?これで私も色々忙しいんです」
口元に緩やかな弧を描いたまま、彼は相変わらず嫌味な物言いをする。
光は顰めてしまいそうな表情筋をどうに留め、もう一度頭を下げて傍らを通り抜けて行く男を送った。
「佐原には、気をつけなさい」
え?
思わず顔を上げ、背後を見やったときには、須藤の後姿が曲がり角へと消えて行くところだった。
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