◇
少年は教室に寄ることなく、鞄を手にしたまま本校舎の一階を、目的地に向かって進んでいた。
人気のない廊下は静まり返り、物思いに沈むには最適だ。
意識を浮上させたのは、対面から歩いてくる存在に気付いたためだった。
「ん?おい、長谷川かっ」
「はい?」
顔を確認して、光はしまったと内心舌打ちをした。
スポーツブランドのジャージを身に着けた長身の男は、体育科の佐原だ。
若い教員の多い碌鳴の中で、ご多分に漏れず二十台半ばの上、顔がいい。
爽やかなスポーツマンを思わせる容姿と、気さくな性格から生徒たちからの支持も篤い、B組の担任教師。
だが光にとっては、相性のいい相手では決してなかった。
先学期に一度、授業をサボったときに保健室へ確認を取られ、次はないと脅かされていた。
佐原は光の手にする学生鞄を見つけ、不快感も露にした。
「重役出勤か。偉くなったもんだな、お前」
「……少し、風邪気味だったので」
「で、二度目のサボリか?もっとマシな言い訳を考えろ。前に言ったな、次はないと」
そうだ。
光が夢の中にいたころ行われた一時間目は、この佐原の体育だったのだ。
授業以外で会うことなど滅多になくて、つい油断していた。
次の体育の際に真っ先に謝りに行けばいいかな程度にしか、考えていなかった。
まさか、こんなに早く遭遇するとは。
しかも先制を許してしまう失態だ。
「すいません」
「大体、お前こんなところで何やってる。さっさとクラスに行かないか」
「あの、保健室に薬を貰いに行こうかと」
風邪気味という設定を使った言い訳を、相手は鼻で笑った。
こんな態度、他の生徒には絶対にしないくせに。
学院での光の立場を利用した高圧的な様子に、内心の不快感は凄まじいものがある。
「それで?武先生の優しさに付け込んで、今度は夕方まで保健室でサボリか。お前には一度はっきり言っておく必要がありそうだな」
「ちょっ、ちょっと待って下さい」
どうしてそうなる。
確かに風邪気味は嘘だが、彼が光の調子を推し量る術はないはず。
本当に体調が悪かったとしたら、どうするつもりだ。
強い力で手首を捕まれ、眉を寄せた。
「俺、本当に風邪気味でっ……」
「言い訳は体育教官室で、じっくり聞いてやる。ほら、来い!」
「いたっ」
抗うのを許さず、益々手に力を込められ骨が軋んだ。
「佐原先生、どうしました?」
緊迫した雰囲気に支配された廊下に響いたのは、第三者の声。
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