歌音は変わったのだ。

これまでは成熟した者特有のすべてを包括するような微笑を浮かべても、どこか悲哀を感じさせたのに、今はどこにも見当たらない。

甚大な痛みが心に根付き、笑うたびに寂寥感が漂っていた歌音とは、明らかに違っている。

憑き物が落ちたみたいに、晴れやかで透明な青。

頑なな決意が融けた彼は、とても柔らかな空気を醸し出していた。

「僕と逸見は、お互い相手のことを見えていなくてね、ずっとすれ違ってた。でも、この夏本当の気持ちを伝え合うことが出来て、ようやく逸見のことが少しだけ分かった気がする。仮初の関係を終わらせることが出来たんだ」
「仮初の……」

繰り返した単語は、ざらりとした舌触りをもたらした。

仮初の関係。

現在の仁志と光も、仮初の関係だと思う。

本当のことを何一つ渡していない自分は、すべてを偽り続けている。

仮初の友人関係。

けれど終らせる。

終らせるのだ、すべてを話して。

なのに何故、木崎に伝えることが出来ないのだろう。

こんなにも望んでいるというのに。

「息がね」
「息?」

知らず俯いていた顔を持ち上げた。

歌音は目を細めて、こちらを見ている。

「ずっと、出来なかった。あれは僕ひとりで立ち向かうべき問題だったけど、その思いにばかり捕らわれて、ぎりぎりになるまで本音を言うことが出来なかった。もっと肩の力を抜いてしまえば良かったって、今は思うんだ」
「力を抜く……」
「頑なになっていたのかな。こうしなきゃいけないって、意識すればするほど身動きが取れなくなって、長い間足を止めたまま」

歌音の語る言葉が、じわりじわりと心に浸透して行く。

凝り固まった胸の中心を、優しく解きほぐすように。

指針は示さず、押し付けもせず、光に一切の抑圧を与えない言葉。

受け取るも受け取らないも、何をするもしないも、光に委ねた包み込む訓え。

彼の、言う通りだ。

力を入れすぎた身はがちがちに強張って、小刻みに震えながらも自由に動くことはない。

強固な思いに縛られれば、強い感情もただの足枷へと形を変える。

行き場を失った原動力はたた身内に積もる一方で、さらに自由を奪ってしまうのだ。

「一つのことに拘ると、それしか見えなくなってしまうから。呼吸を意識して、大きく息を吸って、もっと自由でいる必要があったんだなぁって」
「……そう、ですよね」
「変なこと言っちゃったね、お礼を言いに来ただけだったのに」
「いいえ」

いいえ。

何も変なことなどない。

今の自分には、あまりに重要なものだった。

「ぜんぜん、変じゃないです」
「長谷川くん……?」

こちらの変化に気付いた歌音が、顔色を伺う。

光は大きく深呼吸をした。

腕、指先、双肩、足、爪先、力が抜ける感覚が鮮明に分かる。

覚悟を決めてからずっと、緊張状態にあったのだと知り苦笑が零れた。

光は真っ直ぐに相手の澱みのない瞳を見やった。

「歌音先輩、ありがとうございます」
「……ううん。僕の方こそ、話を聞いてくれて、ありがとう」

突然のお礼に一瞬だけ瞠目したあと、歌音は優しく笑ってくれた。




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