「ここです。どうぞ」
「……失礼します」

冷たい緊張は風のように通り過ぎて行ったが、到着した化学資料室に入っても少年の全身は強張ったまま。

どうしてしまったんだ、自分。

原因不明の心身異常に僅かな不安を抱きつつ、指差された机に運んで来たノートの山を置いた。

狭い室内は両壁に棚が置かれ、ダンボール箱や教材でびっしりと埋まっている。

二脚ばかりのパイプ椅子と長机が入って、もういっぱいだ。

さっさと退散するのがいいと、圧迫感ばかりの部屋を出て行こうとした。

「じゃあ、俺はこれで」
「長谷川くん」

半身を返したところで、いつの間に迫っていたのか担任の手がふっと伸ばされた。

「っ」

ビクッと反応する体。

呼吸をつめ目を見開いた光の頭に、長い指先が触れたのは僅かだった。

「そんなに怯えることじゃないでしょう。ゴミ、ついてました」
「す、いません。失礼しました」

おざなり程度に挨拶をするや、光はすぐさま四階を後にした。

ドキドキと高鳴る心臓はやけに騒がしく、口から音が零れてしまいそうだ。

ほとんど駆け足で戻ると、教室では久しく見ていなかった仁志の姿を発見した。

「お、光」
「仁志……。教室にいるなんて、どうしたんだ?忙しい時期なんだろ」
「ずっと生徒会室にこもってんのもキツイからな。気分転換だ。お前は?」
「何が?」
「どこ行ってたんだ、もう四時間目始まるぞ」
「あー、荷物運びで化学資料室に……」

蘇る悪寒を押し殺し、曖昧に答える。

須藤に触れられたことは、過去にもあった。

期末テストの結果を褒められ、初めて目にする好意的な表情で頭を軽く撫でてくれた。

あのときは木崎の掌を思い出すことはあっても、決して嫌ではなかったのに、どうして。

身内に打たれた確かな釘を見極めるべく、一人思考の中へと沈もうとした。

「それって須藤だろっ!?」
「な、なんだよいきなりっ」

双肩を掴んで来た仁志の眼はカッと見開かれ、動揺に支配された面にこちらがうろたえてしまう。

「大丈夫かっ!?何にもされてねぇだろうなっ」
「はぁ?何言って……」
「あいつの資料室に入った生徒は、ことごとく須藤に食われるっていう噂があんだよ!」

勢いよく言われた衝撃告白に、確かにあった不可解な寒気が吹き飛ばされた。

優秀な頭脳が稼動を止めたのは、数拍のこと。

またこの男は、訳の分からないことを。

「……頭大丈夫か?」
「あぁ?知能指数高ぇ俺によく言ったなコラ」

最早、手遅れだったか。




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